純国産 Made in NIPPON.

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失業者を減らすために!工場の海外移転を阻止するために!

「私はもう面倒を見きれません。勝手にすればいいわ」と、プッツンした施設長は施設を去った。

 

残された保育員は・・・「人手が減った。分担どうする?」

 

え?

 

自立支援の唯一の専門家がいなくなってしまったというのに、何と呑気な・・・ま、危機感を抱く様な保育員だったら施設長は見捨てなかっただろう。

 

その日から毎日パニックになる子供が一名。毎日ヒステリーを起こす子供が一名。その他の子供は「???」で過ごしていました。

 

さて、僕はと言えば、論文を読んで知識を得たとは言え、やはり素人。ただ、その情景を眺めることしかできなかった。

 

 

そんなある日、おやつを食べる子供達に合わせて、僕もバランス栄養食を食べていると、ある子供が「それは何?」と、絡んできました。「誰にも言うなよ」と渡すと「わかった」と言って、僕の横に隠れて食べました。

 

それは習慣になり、僕はその子にとって「お菓子をくれる爺ちゃん」になりました。

 

そしてある日「散歩に行くぞ!」「何で?」「外で食べないと、他の子に見つかるから」

 

なるほど・・・

 

「わかった、じゃあ散歩に行こう」

 

その子は、僕のカーゴパンツのサイドポケットにお菓子を押し込んで「行くぞ!」

 

ボリボリ、ムシャムシャ!その子は、お菓子を食べながらお散歩。お菓子を食べている間は機嫌が良くヒステリーを起こすことはありません。

保育員ではない僕が、児童を施設外に連れ出す(僕が散歩に連れ出されている)のはどうかと思ったが、一度「散歩に行かない」と言ったら、ひどいヒステリーを起こしたので、「まぁ、いっかぁ。苦情が出たら考えよう」ってことで、施設に行った日は毎回お菓子を食べるその子と、散歩していました。

 

ミリタリーの服を着た爺と小学生の女の子。怪しい事この上ない二人。

 

親の知り合いにでも目撃されて告げ口されようもんなら一発アウト。まぁ、その時は散歩に行けなくなるだけの事だ。あの子はヒステリーを起こすだろうが、親に禁止されたらどうしようもない。いや、母親を怖がっていたから、母親に言われたら従うかもしれない。

 

ある論文には「子供には我儘になれる時間と場所が必要だ」だから施設長は、何も制限せず、危険が無い限りは子供のやりたいようにやらせていたのだろう。

 

せめて僕だけは、この子の我儘を聞いてやろう。

 

 

 

ある日、散歩の途中で「コンビニに行こう!」と、その子が言った。

 

目的は、もちろんお菓子。

 

その子はガリガリに痩せているのに、大量のお菓子を食べる。ちょっと心配になり

 

「帰って、ご飯は食べているかい?」

「うん」

「お母さんに『ご飯食べなさい』って言われてない?」

「うん」

 

大丈夫かなぁ?発達障害の子供は嘘が吐けない。この子の言葉を信じよう。

 

その日から、お菓子を持って行くのは止めて、スーパーまで散歩してお菓子を買ってあげるシステムに変更。

 

ある日、お菓子を買って帰ったその子に保育員が言った。

 

「今日は量が多いから今日は半分にして、残りは明日食べなさい」

「何で!!!」

「それを今日全部食べるのは多過ぎるだろ」

「何で!!!」

「だからぁ・・・」

「何で!!!」

 

マイルールの変更を強要されるのはストレスです。

 

その日から、他の子にお菓子を分け与えなくなり、帰り道で食べ切れなかったお菓子は保育員に見つからない様に隠して持ち帰る様になりました。

 

 

 

そんな日々が数ヶ月。溜まりに溜まったストレスで僕はダウン。

 

 

施設に行かなくなって二ヶ月、ずっと気になっていたあの子。顔を見たくなって施設に行ってしまいました。「療育の実験をする」と理論武装をして。

 

 

あの子は算数が苦手でした。「答えを教えろ!」と、宿題のプリントを出すあの子。先ずは、どこまで算数を理解しているのか確認することにしました。

 

「明菜(仮名)ちゃん、実験の手伝いをしてくれるかい?」

「何するの?」

「簡単な足し算」

 

一桁の足し算のプリントを差し出して「プリントを一枚やったら、お菓子を一個」

 

「やる」

「答えが解らない問題は×でいいから」

「わかった」

 

一枚12問。三枚をやったので

 

「じゃあ、お菓子三個だ」

「散歩に行くぞ!」

 

散歩の途中

 

「お菓子4個買って!」

「プリント3枚だから、お菓子3個。約束は守ろうぜ」

「じゃあ、どうしたら4個買ってくれる?」

「そうだなぁ、お母さんが喜ぶ事をしたら、もう1個買ってあげよう」

「した!」

「何を?」

「お母さんの肩叩きをした」

「そうかぁ、君は偉いなぁ」

「じゃあ、4個な」

「次からだよ」

「今日から!!!」

 

あ~、これは駄目なパターンだ。彼女の決意は揺るぎない。要求を拒否すればヒステリーを起こす。

 

「わかった、わかった。4個買ってあげよう」

「やったぁ~」

 

 

さて、自宅に帰ってテストの分析だ。

 

① 1~12までの数値に1を足す計算

全問正解している

 

② 1~12までの数値に2を足す計算

「11+2」を間違えている。「12+2」は×になっている

 

③ 1~12までの数値に同じ数値を足す計算

「1+1」~「5+5」までは正解だが「6+6」は間違えている。それ以降は「10+10」に正解を出しているが、他は×だ

 

 

考察の結果、僕はこう結論を出した「10進数を理解していない」

 

おそらく「5+5」は暗記しているのではないか? 10進数の理論から導き出した答えではないのだろう。

 

 

 

そして後日、僕はある意味間違った実験をしてしまった。

 

 

つづく

 

 

自立支援施設に通う日々

 

請け負った業務は、パソコンを使っての作業全般

 

とは言え、経理や行政への申請等は、専属の事務員が処理するので、僕の作業はそれほど多くない。児童の観察記録等の書類を印刷する事と、たまに施設長が依頼してくる書類をパソコンで清書するくらい。

 

書類の印刷はマクロ化してしまったので、1ヵ月分を印刷するのに1時間もかからない。

 

ヒマ~~~~~

 

保育は僕の仕事ではないが、子供達はお構いなしだ。最初は敬遠していた子供達だが、日を重ねるに連れて僕の存在に慣れ、どの様な思考でその結論に至ったかは不明だが、僕に絡むようになってきた。

 

さて、「保育はしない」宣言をしているものの、発達障害の子供への接し方の知識は持っておかなければならない。そう、していい事としてはいけない事を知っておかなければならないのだ。

万が一、僕の行動や発言によって子供がパニックにでもなれば、申し開きできない。

 

一昔前であれば、大きな街の大きな書店に行き、高額な専門書を買い求めなければならなかった。が、インターネットが普及した現在、どんな田舎であっても電話線が通じていれば、世界中の情報にアクセスできる。もっとも、外国語の文献は解読不能ではあるが。なんと専門家の論文まで閲覧可能だ。ハッキングなどという物騒な手段を使ってではない。不特定多数に向けて公開されている論文である。

 

僕は、来る日も来る日も論文を読み漁った。

 

テレビドラマも参考にした。「リエゾン」「アストリッドとラファエル」映画「ザ・コンサルタント」は極論であるが、発達障害を持つ者のひとつの生き方であろう。

 

得た知識からふたつのルールを決めた。

 

1.「どうしてわからないの?」と言ってはいけない

「1+1=2」がわからない子供には、「1+1=2」がわからないのだ。

障害を持たない大人は「1+1=2になるのは当たり前のことだ。敢えて説明するまでもないだろう」と言う。

 

では問おう「y=x・x - 4のグラフとX軸が交差する座標を求めなさい(x・xはxの二乗を表す)」この問題が解けるだろうか?

 

多くの人が「こんな問題解けなくて当たり前だ」と言うでしょう。しかし、これは中学3年で学習する因数分解の問題です。つまり、中学校を卒業していれば「解けて当たり前。常識」です。

 

よって、「因数分解を解けない大人」=「1+1が解けない子供」なのです。

 

解る人には、解らない人の「解らない」が解らない

 

なんだか禅問答みたいになってしまったが、「自分が解ける問題を万人が解ける」と思ってはいけないと言うことだ。

 

 

 

 

2.突然ルールを変えてはいけない

自閉スペクトラム症の傾向が強い子供は、突然ルールを変えられるとパニックになるそうだ。

 

子供達もマイルールを持っている。いや、自閉スペクトラム症の人ほど厳格でなくてもマイルールは万人が持っているのではないだろうか?冷静に考えれば、上司の間違いを論破するのは僕のマイルールによるものだ。「間違いは間違い。誰の発言でも見逃さない」このマイルールでどれだけトラブルを引き起こしたことか。

 

僕がお世話になっている施設で、「今日から○○をしてはいけません」と言われた子供がパニックになった。こうなるともうこの子の説得は不可能だ。それを知らない保育員は、呪言のように「してはいけません」を繰り返し、子供は親が迎えに来るまで泣き叫んだ。そして、迎えに来た親が「そこまでしなくても・・・」と呆れていた。

 

 

 

そしてある日、施設長が離脱すると共に僕の安穏とした日々は終わりを告げた。

 

 

つづく

諸々事情がありまして、自立支援施設で居候することになりました(;^_^A

 

「子供は好きですか?」

「苦手です」

なら自立支援施設で働くな!って事なんですが、諸々事情がありまして

「なるべく子供達が近づかないようにしますので」

「ありがとう。書類に関する事は何でも言ってください」

「助かります。早速ですが、この書類の来月分を作ってもらえますか?」

「承知しました」

「こちらがExcelで作成したフォーマットです。これに日付と曜日、児童の名前と受給者番号、及び生年月日を入力して、全児童分の書類を作成してください」

「わかりました」

 

開いてみると、何やらごちゃごちゃと関数が・・・なるほど、「西暦」と「月」を入力すると、印刷する書類の表に計算した「日付」と「曜日」が表示されるってことか。あれ?・・・児童の管理番号を入力したら「氏名」と「生年月日」「受給者番号」は、関数で計算される様に・・・あぁ、計算式が書いてあったセルに誰かが直接入力したんだな。このシートが児童の情報を記録したレコードなのか・・・であれば・・・上書きされて消えた関数は・・・これで良し!

 

しかし、児童の「管理番号」と「第何週」の数字は手入力。結構手間だな。来月分は手入力して印刷するとして、終わったらマクロを組むか。

 

1日の作業時間は2時間、全員分を印刷するのに3日かかった。作業中、学校が終わって施設に来た子供が、うろんな目で僕を見る。見知らぬ人物には迂闊に近づかないよう教育されているのだろう。

 

「印刷できました」

「え!もう、できたんですか?」

「はい」

「私、毎日残業して、それでも間に合わなくて、休みの日も使って印刷していたんですが?」

「そうですか。それは大変でしたね」

「今までの私の努力は・・・」

遠い目をした施設長

「僕は、半導体のデーターを毎日Excelで集計していたので」

「それにしても・・・」

 

 

 

さて、マクロを作成しますか。

 

先ずは、児童1名分の全ての書類を一括印刷するマクロを作成。そして、印刷するウィンドウをユーザーフォームで作成して、シート上にボタンを配置して、ユーザーフォームを呼び出すサブルーチンを登録。

 

こんなもんかな?

 

「あの~、印刷するマクロを組んだので、使い方をレクチャーしたいのですが・・・」

「???」

「このExcelのファイルを開いて、このボタンをクリックするとウィンドウが表示されるので・・・」

「・・・あの~、当分、通ってもらえるんですよね?」

「はい・・・」

「では、そう言う事で」

施設長、満面の笑み攻撃!

「あはは・・・まぁ、そう言う事で(僕が印刷します)」

「ありがとうございます!!!」

 

やばい!この笑顔には逆らえない!!

 

が、この笑顔が鬱病の特効薬であった。「出るぞ」と決意してから実際に家を出るまでに1時間は逡巡していた僕でありますが、施設に赴く足は軽い。

 

 

つづく