1017 New plan
10/17(SUN)
仕事。
日曜なのでちょっとオシャレして、グレーの秋っぽい素材のネクタイをしていった。
日中は日曜日なのでてんてこ舞い。お昼は吉野家で牛鍋丼かけこむ。280円なり。
給料日後だからといって、無駄な贅沢をしないことが1ヶ月をうまく乗り切るコツだと知った
今日この頃。わかっちゃいるんですけどね、思い通りにはいかないことも多いんだけどね。
なんだかんだでバタバタしていて、結局仕事がスムーズに進むわけもなく、
やっと夕方過ぎて落ち着いた。
校正を戻さなければいけない年末企画のプレス用原稿のため、上司と話がしたかったが、
タイミングが合わずなかなかできない。
19時すぎからやっと空きをみてつまみ食いって感じで話を始めるが、全然進まない。
おーし、もうわかった、ちょっとお前この後時間あるかと言われて、仕事未完のままで、
20時前に会社を出る。場所を変えて焼き鳥屋でYマネージャーと打合せの続き。
といっても上司が時間があまりないらしく、本当に1杯だけって感じ。厳密には2杯(笑。
テキストの原稿を机に出して赤などを入れながら、30分ほどで仕上げる。
であと30分くらいは、色んな話の流れで雑談だが、こういう本気の飲みでない日こそ、
会話が盛り上げる。というか酔っぱらってもないし、半分リアルに仕事なので、
お互い意外と冷静に話が出てくる。こんな時の生ビールは潤滑油の役目。
話といっても、仕事の話なんだけど、こういう時は仕事をミクロでなくて全体というか
もっと広い視野でのざっくりな会話になるから、細かくなくていい。
方向性とかそういう話を誰かとするのは楽だし、前者に比べれば楽しいことだと思う。
* * *
ところで昨日、たまプラで見た吉岡先生の絵がよかったと書いたが、
日本中に星の数ほど有能な絵描きさんがいる中で、こういう感想って、
やっぱり身内ひいきなのでしょうか?
でも、一体どれだけの人が、何の前提も先入観というフィルターもなく、
純粋に芸術作品そのものを見て評価しているというのでしょう?
まっすぐな透き通った目で作品と向き合えているかと聞かれれば、僕は自信ないです。
というか、音楽にしろ、絵画にしろ、芝居にしろ、小説にしろ、どんな表現物でも、
もちろん作品そのものの魅力や強さや価値というのはあるけれど、
それらの意味の単体でこの世界に存在しているものは、はっきりいってないと思う。
人気があるとかないとかに関わらず、少なからず社会に出回っている生産物というのは、
色んな影響を受けて存在している。そういう点では皆スタートラインは一緒。
「絵」や「art」という言葉が今も辞書に載っていなければ話は別ですが、
絵なんて何百年も前から本当にたくさんの人が描いてきたものなんだから、
ただ絵を見ただけでは誰も驚いたりはしない。へ理屈を語りたいわけではないのですが、
物理的に見れば、絵なんて全て紙や絵の具という画材であって、X線に通せば全て同じもの。
じゃあ人々は一体何に驚いたり心が動いたり感動しているのか?
そしてなぜ作る人によって違いが出るのか??
こういうことについては、ずっと昔から考え続けているような気がする。
まあいくら考えても答えは出ないし、一生かかってもスッキリしないでしょうが、
今となってはこれまで考えてきたことは、あながち無駄ではなかったような気がします。
別に今現在結果的にそういうことに関わる仕事をしているからとかは特に問題ではなくて、
結局突き詰めていけば、そういう議論というのは、世の中の仕組みとか社会の理不尽さとか、
そういったことと根本的な問題の枠組みは同じであると感じるようになったからです。
* * *
ようするに価値観なんて、大抵のものは明日にでも簡単にひっくり返ってしまうもので、
コインの表と裏なんてのも、本当はどっちだってかまわないんです。
ただ、色んな人が同じものを見て、どっちが裏で表か人によって違うと、
色んなところで不都合が発生するので、便宜的にどちらかを表と決めてしまうんです。
ひとつ表を決めて、裏は表ではない方という定義にする。簡単なことです。
でもそういうルールを作ると、物事は信じられないくらいスムーズに進む。
共通認識という名の、行動統制というと大げさですが、
小さなところでいうと、恋人同士の記念日とか。
他の人から見たらなんでもないただの平日に特別な意味ができる。
総理大臣になったら、自分の彼女の誕生日は、国民の祝日にすると歌う歌手もいます。
でも、多くの人が共存して動き続けている社会では、そういう仕組み作りが大切で、
本当の意味よりも、交通整理の方が重要な作業だったりするのかもしれません。
僕らだって誰かが決めた仕組みの上で、みんな毎日過ごしているわけで、
それは本当にごく自然に、何の違和感もなく、暮らしの中に少しずつ敷かれている。
別にそれが悪いこととか良いこととかそういうことは今日の議論の本質ではなくて、
(例えそれを悪だと主張したところで、全世界をひっくり返すのは不可能ですし、
別に何千年もかけて人間が築いてきた枠組みが全て悪いとは僕自身も思っていません)
ただそういう「物事の中身」というか、きれいにコーティングされた外面の奥にあるもの、
パッと見で素通りしてしまうものに対して、無関心というのはよくないと思うだけです。
冷めた言い方をすると、現代美術の世界なんかはそういう意味では顕著な傾向があって、
本当に幻想や誰かが決めた枠組みや仕組みに世界が一喜一憂するわけですよ。
誰かがサインを入れたただの紙切れに、何億という貨幣価値がつくわけですから。
よく考えたらとんでもない世界ですが、でもそれが面白いとこなわけです。
ただ僕個人としては、好きな建築やアーティストの作る作品や音楽があるわけで、
必ずしも人気があって売れている人の作品が好きなわけでもないし、
世界的な売れっ子の作品でも好きなものもたくさんあるし、有名無名に関わらず、
そういう風にそれぞれが独自に持っている価値観があって全然いいんだと思います。
一見バラバラに見える自分が好きなものも、よくよく観察してみると、
実はある一定の基準で選ばれて自分のお気に入りに抜擢されているわけですが、
その自分が好んで選り選んでいるもののラインは何だろうと考えるのも面白いものです。
そしてそれを人にちゃんと言葉で説明できると、ひとつ自分の中で何かが固まって、
また次のmy favoriteが見つけやすくなったりするものだったりして、
それはそれで年月を重ねてゆく歓びのひとつなんじゃないかなと思ったりもします。
* * *
...という、上記のようなことを今日の会話で僕は伝えたかったようなのですが、
今自分で書いてても結論もないし、どこにもたどり着かない内容な気がします。
まあでもこういう話は、今後も色んな場面で形を変えて出てくるので、
その都度考えていけばいいんじゃないでしょうか。
メモとして残しておけば、いつかまとめられる日が来るでしょう。
あーもう明日も仕事なので寝ましょう。
明日はみんなもブルーマンディ。
*Fight The Blues/宇多田ヒカル
仕事。
日曜なのでちょっとオシャレして、グレーの秋っぽい素材のネクタイをしていった。
日中は日曜日なのでてんてこ舞い。お昼は吉野家で牛鍋丼かけこむ。280円なり。
給料日後だからといって、無駄な贅沢をしないことが1ヶ月をうまく乗り切るコツだと知った
今日この頃。わかっちゃいるんですけどね、思い通りにはいかないことも多いんだけどね。
なんだかんだでバタバタしていて、結局仕事がスムーズに進むわけもなく、
やっと夕方過ぎて落ち着いた。
校正を戻さなければいけない年末企画のプレス用原稿のため、上司と話がしたかったが、
タイミングが合わずなかなかできない。
19時すぎからやっと空きをみてつまみ食いって感じで話を始めるが、全然進まない。
おーし、もうわかった、ちょっとお前この後時間あるかと言われて、仕事未完のままで、
20時前に会社を出る。場所を変えて焼き鳥屋でYマネージャーと打合せの続き。
といっても上司が時間があまりないらしく、本当に1杯だけって感じ。厳密には2杯(笑。
テキストの原稿を机に出して赤などを入れながら、30分ほどで仕上げる。
であと30分くらいは、色んな話の流れで雑談だが、こういう本気の飲みでない日こそ、
会話が盛り上げる。というか酔っぱらってもないし、半分リアルに仕事なので、
お互い意外と冷静に話が出てくる。こんな時の生ビールは潤滑油の役目。
話といっても、仕事の話なんだけど、こういう時は仕事をミクロでなくて全体というか
もっと広い視野でのざっくりな会話になるから、細かくなくていい。
方向性とかそういう話を誰かとするのは楽だし、前者に比べれば楽しいことだと思う。
* * *
ところで昨日、たまプラで見た吉岡先生の絵がよかったと書いたが、
日本中に星の数ほど有能な絵描きさんがいる中で、こういう感想って、
やっぱり身内ひいきなのでしょうか?
でも、一体どれだけの人が、何の前提も先入観というフィルターもなく、
純粋に芸術作品そのものを見て評価しているというのでしょう?
まっすぐな透き通った目で作品と向き合えているかと聞かれれば、僕は自信ないです。
というか、音楽にしろ、絵画にしろ、芝居にしろ、小説にしろ、どんな表現物でも、
もちろん作品そのものの魅力や強さや価値というのはあるけれど、
それらの意味の単体でこの世界に存在しているものは、はっきりいってないと思う。
人気があるとかないとかに関わらず、少なからず社会に出回っている生産物というのは、
色んな影響を受けて存在している。そういう点では皆スタートラインは一緒。
「絵」や「art」という言葉が今も辞書に載っていなければ話は別ですが、
絵なんて何百年も前から本当にたくさんの人が描いてきたものなんだから、
ただ絵を見ただけでは誰も驚いたりはしない。へ理屈を語りたいわけではないのですが、
物理的に見れば、絵なんて全て紙や絵の具という画材であって、X線に通せば全て同じもの。
じゃあ人々は一体何に驚いたり心が動いたり感動しているのか?
そしてなぜ作る人によって違いが出るのか??
こういうことについては、ずっと昔から考え続けているような気がする。
まあいくら考えても答えは出ないし、一生かかってもスッキリしないでしょうが、
今となってはこれまで考えてきたことは、あながち無駄ではなかったような気がします。
別に今現在結果的にそういうことに関わる仕事をしているからとかは特に問題ではなくて、
結局突き詰めていけば、そういう議論というのは、世の中の仕組みとか社会の理不尽さとか、
そういったことと根本的な問題の枠組みは同じであると感じるようになったからです。
* * *
ようするに価値観なんて、大抵のものは明日にでも簡単にひっくり返ってしまうもので、
コインの表と裏なんてのも、本当はどっちだってかまわないんです。
ただ、色んな人が同じものを見て、どっちが裏で表か人によって違うと、
色んなところで不都合が発生するので、便宜的にどちらかを表と決めてしまうんです。
ひとつ表を決めて、裏は表ではない方という定義にする。簡単なことです。
でもそういうルールを作ると、物事は信じられないくらいスムーズに進む。
共通認識という名の、行動統制というと大げさですが、
小さなところでいうと、恋人同士の記念日とか。
他の人から見たらなんでもないただの平日に特別な意味ができる。
総理大臣になったら、自分の彼女の誕生日は、国民の祝日にすると歌う歌手もいます。
でも、多くの人が共存して動き続けている社会では、そういう仕組み作りが大切で、
本当の意味よりも、交通整理の方が重要な作業だったりするのかもしれません。
僕らだって誰かが決めた仕組みの上で、みんな毎日過ごしているわけで、
それは本当にごく自然に、何の違和感もなく、暮らしの中に少しずつ敷かれている。
別にそれが悪いこととか良いこととかそういうことは今日の議論の本質ではなくて、
(例えそれを悪だと主張したところで、全世界をひっくり返すのは不可能ですし、
別に何千年もかけて人間が築いてきた枠組みが全て悪いとは僕自身も思っていません)
ただそういう「物事の中身」というか、きれいにコーティングされた外面の奥にあるもの、
パッと見で素通りしてしまうものに対して、無関心というのはよくないと思うだけです。
冷めた言い方をすると、現代美術の世界なんかはそういう意味では顕著な傾向があって、
本当に幻想や誰かが決めた枠組みや仕組みに世界が一喜一憂するわけですよ。
誰かがサインを入れたただの紙切れに、何億という貨幣価値がつくわけですから。
よく考えたらとんでもない世界ですが、でもそれが面白いとこなわけです。
ただ僕個人としては、好きな建築やアーティストの作る作品や音楽があるわけで、
必ずしも人気があって売れている人の作品が好きなわけでもないし、
世界的な売れっ子の作品でも好きなものもたくさんあるし、有名無名に関わらず、
そういう風にそれぞれが独自に持っている価値観があって全然いいんだと思います。
一見バラバラに見える自分が好きなものも、よくよく観察してみると、
実はある一定の基準で選ばれて自分のお気に入りに抜擢されているわけですが、
その自分が好んで選り選んでいるもののラインは何だろうと考えるのも面白いものです。
そしてそれを人にちゃんと言葉で説明できると、ひとつ自分の中で何かが固まって、
また次のmy favoriteが見つけやすくなったりするものだったりして、
それはそれで年月を重ねてゆく歓びのひとつなんじゃないかなと思ったりもします。
* * *
...という、上記のようなことを今日の会話で僕は伝えたかったようなのですが、
今自分で書いてても結論もないし、どこにもたどり着かない内容な気がします。
まあでもこういう話は、今後も色んな場面で形を変えて出てくるので、
その都度考えていけばいいんじゃないでしょうか。
メモとして残しておけば、いつかまとめられる日が来るでしょう。
あーもう明日も仕事なので寝ましょう。
明日はみんなもブルーマンディ。
*Fight The Blues/宇多田ヒカル