Look how they shine for you.
今日の天気は雨。
静かで優しい雨。
ちょっと半袖だと肌寒いかな。でも悪くない雨。
前から言ってますが、僕は晴れの日ももちろん大好きですが、雨の日も同じようにとても好きです。
そして、雨の日には色んなことを考えます。コロッケと肉じゃがの関係とか、そんなくだらないことから、これからどうなるんだろう?とか、すごく真剣なことまで。
それはきっと雨の日って他のいつかの雨の日と繋がっているような気がするからかなぁ。そして自分と同じように違う街で傘を差して歩いている家族や友人たちと、空や雲や水を通して繋がっているからかな、とか思います。なんでだか知らないが、雨が降っている光景ってどこか神秘的ですごく特別な感じがするのよね。
僕はできたら死ぬ時は雨の日がいいと思っている。
海に降る雨を見たことがありますか?
それは海と空が繋がっていて、生命の循環、生まれ変わることを思わせてくれます。そんな光景を見ると本当に自分の小ささを感じます。
最近、いろいろと悩んだり考えたりすることはあるのですが、なぜかわりと落ち着いている。
なんでかな?
その、とくにこの4月からの自分の感じてることや思うことを人に説明しようとするのですが、なかなか的確な言葉が出てこなくて、うまく伝わっていないようで、それがちょっともどかしくもあります。「大好きな時間の中に閉じ込められたい」っていう感覚がよくわからないという人がいて、でもそれはちょっと残念だった。
それで、ズルいとは思うのですが、最近買った吉本ばななさんの本に、自分が今いる状態にわりかし近いというか、僕が好きなことや目指すところのような、そんな感じを上手に表現している文章があったので、(あまりこういうことはしたくないのだけど)少しだけ転載させてもらいます。
これは10年くらい前のエッセイの中で吉本ばななさんが、ある歌手(先入観をなくすためにあえてその人の名前はここでは書きません。でも有名な人で僕のまわりはみんな知っている人だと思います)の魅力について書いている文章の一節です。
———————(以下転載)———————
彼が、甘い恋の歌詞の形を借りて表したいのは、麻薬のようなメロディーの形を借りて表現しているのは、たったひとつの事、それは人生に何十回もは訪れない、ある、精神的肉体的条件を満たした状況だと思う。
例えて言えば、
「ある、夕方。
家の中はあたたかくて、何もかもが整っている。
それで、何も、問題はなくて、窓の外にはきらきらと外の灯りが見える。熱くもなく、寒くもない、体にはどこも痛いところはない。そういうきざしもない。心にはどこもみじめなところもない。そのきざしもない。
すべてが美しく見えて、祝福されているようだが、決してハイな感じではなく、落ち着いた状態でそれを感じている。
一歩踏みだせばハイな状態にいけるけれども、それをそうっと、抑えている。そのほうが気分がいいから。
何か充実したエネルギーが、お腹の底から満ちてくるのがわかる。と同時に、この状態がいつまでも続かないのがわかっているから、かすかに切なくもある。それを、わかっているから自分から動きたいと思っている。
だから、今なら何も問題がなくて、必ず多分笑顔で迎えてくれる誰か好きな人、あたたかい人に会いにいくか、電話をかけて、何だかわからないけれど、自分に訪れたこの満ち足りた時間から自分で飛びだして、また人生を歩こう。またこのような時が自分に訪れるように、神というものに祈ろう。」
そんなようなことだと思う。
もしも人が何かひとつだけを表したいためにいろいろなものを作り続ける時、それは当然祈りの味を帯びてくる。
それから狂気を。
それはフィクションを現実にしようとする、不可能な戦いのはじまりだ。
———————(転載終り)———————
と、そんな文章なんですが、わかってもらえますかね?この感じ。
ここで書かれているのと同じようなことを表現している僕の好きな映画や演劇や絵や音楽もいくつかあるのですが、まあブログなのでここでは文章という形で見てもらいました。特に、このばななさんの文章はわかりやすいほうだと思う。
また、彼女はこうも書いてます。
「人間はそういう時間を味わうために生まれてきた。そしてすべての芸術は、その時間にたとえ反対向きでもその針を合わせている。」
なんか感じません?なんか考えません?
うまくいえませんが、とりあえず僕は読んだあと、吉本ばななさんはすごい人なんだなぁ、と再確認。(ちなみに、このエッセイ、ブックオフで100円でした。CDにしても本にしても、やはり中古市場というのは必ずしも値段と中身の価値が一致するとは限りません。ブックオフ恐るべし!)
自分がうまく言葉にできないことを、サラッと(かどうかはわかりませんが)言葉にされてしまった。
ここで僕がよく使う言葉を使うと、『すげーー』とか『「美しさ」と、あまりにも大きな、生きる喜び』ってことになるんでしょうけど、、つまり言いたいのはそういうことです。
僕はずっとそんなことが言いたくて何かを表現したり誰かと話したりブログとかやっているのかもしれませんわ。
でも、ばななさんは「人生に何十回もは訪れない」と書いていますが、こういう瞬間や場所を見つけようと思えば、そして、それをちゃんとキャッチして感じることができたら、結構頻繁にあると思うんだよね。(少なくとも僕はそう思う)
そんな気持ちで、先日、気分転換と考え事をかねて、ちょっと足を伸ばして軽い旅行へ。男二人でむさ苦しい車内でしたが、僕らは誰よりも自由でした。
写真は田舎道の奇跡の夕暮れ。
僕が言葉で言えないこと、色で表すならこんな色でしょうか...

実物は写真の何万倍もきれいでしたよ
「すげーー」しか言えなかった。
これからもっと成長して、もうすこし難しいことを色々説明できるようにと思います。
では、もうちょっとこれからのこと考えます!!
今日の1曲:Yellow/Coldplay
『「美しさ」と、あまりにも大きな、生きる喜び』を音楽で表すなら、こんな曲でしょうか。たくさんありすぎて選ぶことできませんけど。でも、ほんといい曲ですわ。
静かで優しい雨。
ちょっと半袖だと肌寒いかな。でも悪くない雨。
前から言ってますが、僕は晴れの日ももちろん大好きですが、雨の日も同じようにとても好きです。
そして、雨の日には色んなことを考えます。コロッケと肉じゃがの関係とか、そんなくだらないことから、これからどうなるんだろう?とか、すごく真剣なことまで。
それはきっと雨の日って他のいつかの雨の日と繋がっているような気がするからかなぁ。そして自分と同じように違う街で傘を差して歩いている家族や友人たちと、空や雲や水を通して繋がっているからかな、とか思います。なんでだか知らないが、雨が降っている光景ってどこか神秘的ですごく特別な感じがするのよね。
僕はできたら死ぬ時は雨の日がいいと思っている。
海に降る雨を見たことがありますか?
それは海と空が繋がっていて、生命の循環、生まれ変わることを思わせてくれます。そんな光景を見ると本当に自分の小ささを感じます。
最近、いろいろと悩んだり考えたりすることはあるのですが、なぜかわりと落ち着いている。
なんでかな?
その、とくにこの4月からの自分の感じてることや思うことを人に説明しようとするのですが、なかなか的確な言葉が出てこなくて、うまく伝わっていないようで、それがちょっともどかしくもあります。「大好きな時間の中に閉じ込められたい」っていう感覚がよくわからないという人がいて、でもそれはちょっと残念だった。
それで、ズルいとは思うのですが、最近買った吉本ばななさんの本に、自分が今いる状態にわりかし近いというか、僕が好きなことや目指すところのような、そんな感じを上手に表現している文章があったので、(あまりこういうことはしたくないのだけど)少しだけ転載させてもらいます。
これは10年くらい前のエッセイの中で吉本ばななさんが、ある歌手(先入観をなくすためにあえてその人の名前はここでは書きません。でも有名な人で僕のまわりはみんな知っている人だと思います)の魅力について書いている文章の一節です。
———————(以下転載)———————
彼が、甘い恋の歌詞の形を借りて表したいのは、麻薬のようなメロディーの形を借りて表現しているのは、たったひとつの事、それは人生に何十回もは訪れない、ある、精神的肉体的条件を満たした状況だと思う。
例えて言えば、
「ある、夕方。
家の中はあたたかくて、何もかもが整っている。
それで、何も、問題はなくて、窓の外にはきらきらと外の灯りが見える。熱くもなく、寒くもない、体にはどこも痛いところはない。そういうきざしもない。心にはどこもみじめなところもない。そのきざしもない。
すべてが美しく見えて、祝福されているようだが、決してハイな感じではなく、落ち着いた状態でそれを感じている。
一歩踏みだせばハイな状態にいけるけれども、それをそうっと、抑えている。そのほうが気分がいいから。
何か充実したエネルギーが、お腹の底から満ちてくるのがわかる。と同時に、この状態がいつまでも続かないのがわかっているから、かすかに切なくもある。それを、わかっているから自分から動きたいと思っている。
だから、今なら何も問題がなくて、必ず多分笑顔で迎えてくれる誰か好きな人、あたたかい人に会いにいくか、電話をかけて、何だかわからないけれど、自分に訪れたこの満ち足りた時間から自分で飛びだして、また人生を歩こう。またこのような時が自分に訪れるように、神というものに祈ろう。」
そんなようなことだと思う。
もしも人が何かひとつだけを表したいためにいろいろなものを作り続ける時、それは当然祈りの味を帯びてくる。
それから狂気を。
それはフィクションを現実にしようとする、不可能な戦いのはじまりだ。
———————(転載終り)———————
と、そんな文章なんですが、わかってもらえますかね?この感じ。
ここで書かれているのと同じようなことを表現している僕の好きな映画や演劇や絵や音楽もいくつかあるのですが、まあブログなのでここでは文章という形で見てもらいました。特に、このばななさんの文章はわかりやすいほうだと思う。
また、彼女はこうも書いてます。
「人間はそういう時間を味わうために生まれてきた。そしてすべての芸術は、その時間にたとえ反対向きでもその針を合わせている。」
なんか感じません?なんか考えません?
うまくいえませんが、とりあえず僕は読んだあと、吉本ばななさんはすごい人なんだなぁ、と再確認。(ちなみに、このエッセイ、ブックオフで100円でした。CDにしても本にしても、やはり中古市場というのは必ずしも値段と中身の価値が一致するとは限りません。ブックオフ恐るべし!)
自分がうまく言葉にできないことを、サラッと(かどうかはわかりませんが)言葉にされてしまった。
ここで僕がよく使う言葉を使うと、『すげーー』とか『「美しさ」と、あまりにも大きな、生きる喜び』ってことになるんでしょうけど、、つまり言いたいのはそういうことです。
僕はずっとそんなことが言いたくて何かを表現したり誰かと話したりブログとかやっているのかもしれませんわ。
でも、ばななさんは「人生に何十回もは訪れない」と書いていますが、こういう瞬間や場所を見つけようと思えば、そして、それをちゃんとキャッチして感じることができたら、結構頻繁にあると思うんだよね。(少なくとも僕はそう思う)
そんな気持ちで、先日、気分転換と考え事をかねて、ちょっと足を伸ばして軽い旅行へ。男二人でむさ苦しい車内でしたが、僕らは誰よりも自由でした。
写真は田舎道の奇跡の夕暮れ。
僕が言葉で言えないこと、色で表すならこんな色でしょうか...

実物は写真の何万倍もきれいでしたよ
「すげーー」しか言えなかった。
これからもっと成長して、もうすこし難しいことを色々説明できるようにと思います。
では、もうちょっとこれからのこと考えます!!
今日の1曲:Yellow/Coldplay
『「美しさ」と、あまりにも大きな、生きる喜び』を音楽で表すなら、こんな曲でしょうか。たくさんありすぎて選ぶことできませんけど。でも、ほんといい曲ですわ。