2011年3月11日、当時11歳。小学5年生。
茨城県鹿嶋市に住んでいた私は授業中に「ドンッ!」と地面から殴られたかのような強い地震を受けた。
私の学校は海辺などからは離れていたため津波などの心配はなく、避難訓練のおかげで大した騒ぎもなく校庭に全員避難していた。
自分は地震に恐怖を感じるタチではなく、周囲の泣いている声を聞きながら、不謹慎にも友人とポケモンで地球がどうやって破壊できるかについて語り合っていた。

同時刻、私の知る鹿嶋市の被害。
・在校生として中学校の卒業式の予行に参加していた兄の4つ隣の席に照明が落下した。偶然、休みが数名いた分席を詰めたおかげで被害者はいなかったようだ。
・鹿島神宮の鳥居が崩壊した。要石の神話のように神が地震を抑えてくれたのだろうか。


両親があらゆる災害を受けにくい場所を選んで建てた我が家は、震災直後も変わらずそこにいた。
滅多に掃除をしない家は震災で崩れたのか、元々荒れていたのかはよく分からなかったが、電気のつかないことだけが震災の影響を示していた。

幸いにも家には備蓄がいっぱいあった。高校で災害対策指導を行っていた父によって様々なものが蓄えられていた。箱いっぱいのみかん、箱いっぱいのアクエリアス、電気がなくても使えるコンロ、冷蔵庫にパンパンの冷凍食品、大量のティッシュ、大量のトイレットペーパーなどだ。

だから私が茨城県鹿嶋市にいて辛かったのは、むしろ震災から少し経ってからだった。
テレビで被災地として取り上げられるのは東北3県ばかり。
計画停電を行う地域として選ばれた鹿嶋市。
避難区域からやってきた人の受け入れ。


県境越えたら被害もなくなると思っているのか。
震災で被害を受けているのは、茨城だって同じ。なぜ、私たちは計画停電を受けなければいけなかった?
地盤が固くて被害が少なかった鹿嶋市。それでも、周囲の地域の液状化で傾く看板、津波で陸の内側に運ばれたコンテナ、何日も止まった電気は被災地であることを明確に示しているのに!

テレビで震災の話を見る度に、茨城が割を食っているような気がする。「被災地の人を招待!」「被災地の食材」といったとき、対象地域は主に岩手県、宮城県、福島県の3県。ここに青森県や秋田県が入ることがあっても、茨城県はほとんど入らない。
テレビの前の人達に3.11と聞いて茨城県を思い浮かべるのはどれだけいるのだろうか。




現在21歳の私がこのブログを読んだ人に知ってほしいことは1つ。茨城県も被災地である。これだけ。被災地の話を聞いたときに、茨城県も思い浮かべてほしいです。それだけでも、なにか変わると思うから。