1月22日(日)日本経済新聞 マイケル・サンデル氏「市民の無力感 解消の道探れ」編集員 春原 剛

 日本経済新聞は、マイケル・サンデル氏にトランプ政権誕生に関するインタビューを行い、マイケル・サンデル氏にトランプ政権への批判を引き出そうとしているが、マイケル・サンデル氏は、次のような見解を示している(以下、筆者による要約)

「アメリカにおける民主主義と資本主義の将来について考える必要がある。過去数十年間のグローバリゼーションは、その繁栄を享受できた人の数がごく一部に限られたことで、社会に不満が蓄積している。その要因は、アメリカの民主党が本来共和党に対する不満の受け皿としての役割を果たさず、逆にエスタブリッシュメント達に擦り寄る政治を行い、どちらの政党も人々の声に耳を傾けてこなかったからだ。こうした不満の解消が続かない状態が社会に滞留し続けた挙句、ポピュリズムとナショナリズムが煽られる状態へと移行してくことに危惧を覚える。両政党は、各々の政党の基盤を再定義して人々の声に耳を傾ける必要がある。」

「民主主義、言論の自由の将来に危機感を覚える。特に若者は、ニューヨーク・タイムズ紙からではなく、ソーシャルメディアや深夜のコメディ番組から情報を取得しているが、そうした信頼性の欠ける情報からは政治的意見を確立できず、民主主義政治に必要な意味のある議論を形成することは難しい。また、ニューヨーク・タイムズ紙への名誉毀損をしやすくする、といったよう法律を変えて、メディアを相手に訴訟しやすい環境に変えていくというトランプ氏の姿勢は、言論の自由に対する脅威となる。共和党は、大統領だけでなく、上下両院、多くの州知事ポジション、最高裁判所も多数派を占めるだろう。一つの政党が、行政府、司法、立法において連邦レベル、州レベルにおいて多数派を占めることになるのは初めてのことだ。結果的に共和党は自らを再定義することが難しくなり、共和党の成功はトランプ氏の成功にかかっている。」

 まず、トランプ氏が仮に全体主義者の唱導者となる存在であるならば、アメリカのあらゆる権力機関は既に唱導者率いる共和党によって、あらゆる権力を手中におさめている、またはおさめつつあるということになる。これは全体主義への萌芽として危険であり、注視を続けていかなければならない。アメリカ国民の半数近くが彼を支持したということが、今後のアメリカ社会にどのような影響を及ぼしていくか、確かに予断を許さない状況である。

 また、マイケル・サンデル氏は、トランプ政権の誕生がナショナリズムの高揚を喚起するという主旨の論を述べており、ナショナリズムを否定的に捉えている。一方でグローバリゼーションの進行が社会に悪影響を及ぼしているという認識をしておきながら、ナショナリズムを基本的に悪いものとみなす矛盾した立場を取っている。「民主主義を再活性化し、資本主義とグローバリゼーションの関係を向上させ、上位の人間だけではなく、すべての人が利益を享受できるようにできなければ最大の危機が訪れる。極端なナショナリズムや耐え難いポピュリズムが人々をさらに魅了するだろう」といった、資本主義と民主主義を適切に構築できなかったときに、ナショナリズムがポピュリズムと並列して現象として現れるという、ナショナリズム論だ。これはグローバリズムとナショナリズムの間にある度合いというものを認めない、二元的な考え方である。グローバリゼーションが国際社会に与えている弊害を民主主義や文化のレベルで認識はしているものの、ナショナリズムが経済に与える恩恵を顧みない極端な考え方だ。

 ソーシャルメディアやコメディ番組からニュースの情報を入手したとしても、政治的思考の深化をもたらさず、社会の公益に資するという態度を形成させていくことは確かにままならないだろう。実際に、ソーシャルメディアの言論空間は、ある一つのテーマに対して賛成派は賛成派にまとまり、反対派は反対派でまとまり、賛成派と反対派が交わるcontroversial(物議を醸すような)議論空間においては、お互いの誹謗中傷が展開されている状況である。しかし、そのような議論空間にあるソーシャルメディアが、ニューヨーク・タイムズといった「人々の不満に耳を傾けない」エリート向け大衆紙よりも劣っているニュース源であるという議論もまたかなりナイーブと言わざるを得ない。一方で「人々の不満の声に耳を傾けない」政治的状況を認識をしておきながら、他方で「人々の不満の声に耳を傾けない」メディア空間を認識できずにいるという、認識の混乱がマイケル・サンデル氏の頭の中で起きているのだ。この記事の第2テーマである「権力監視は報道の義務」という従来から言われている、メディアジャーナリズムの正義は現実問題として確保できていないのだ。

 規制緩和といった、デフレーション下にあるアメリカ経済状況の中で供給能力を増やそうするものを除けば、財政出動や雇用創出、自由貿易の見直しという極めて現実的に正しい経済政策を実行していくトランプ氏率いる共和党が己を再定義することができない、ということは理解し難い。内需を活性化させようとするトランプ氏の経済政策はまさに"America First"と既に定義されているからだ。マイケル・サンデル氏が言うように、トランプ氏の成功にかかっているというのはその通りであり、もし成功した場合、彼は最高の知性という権威の中でどのような哲学的意見を持ち続けていくことができるのだろうか。いずれにしても、トランプ氏が全体主義の唱導者たる存在へ変容していくとすれば、それは彼が誤った政治的方向へ進んだ状況を尚民衆が支持し続けるという異様な社会状況が起きているときである。それが経済政策の失敗という誤った政治的方向へ進んだ場合に、民衆の支持が得られて続けていくことが果たして起こるだろうか?どちらかといえば、ヒットラーのように経済的政策が成功してその範囲においては政治的に正しかったとしても、政治的に正しくない政策を政治的に正しい(political correctness)と誤って判断した状況(特定の国籍・人種の人々を何らの正当性もなく迫害する)をなお民衆が支持し続けるという現象が起きたときの方がより現実的にありえそうである。無論、「不法」移民問題の対策は、急激にやれば大きな軋轢をうむことにはなるものの、アメリカの不法移民による犯罪などの社会問題を解決する上で政治的正当性が皆無であるというのは言いすぎであり、またムスリムの入国制限は過激なテロリストを自国民から守りぬく上で政治的正当性が皆無であるというのも言い過ぎであるが、そのような政治的正当性がなんら見当たらない状況がこっそりと社会に出現しはじめたときに、メディアは正しくトランプ氏を今と同じような「正義感面した面持ち」で批判し続けることができるのだろうか?