映画のラストシーンで、自分の意志で行動して責任をおう—その責任が重すぎたり理不尽だったりしても—場合と、意志を放棄せざるをえない場合と比べると、胸の痛むほうは後者だ。
『長距離ランナーの孤独』では、主人公はマラソン大会の慈善行事でバカにされたことを怒り、裕福な家の若者を殴るか何かして、刑務所の単純作業に戻る。『シェルブールの雨傘』では冷静に割りきったかのように見える人が暖かな家庭を築いている。刑務所と暖かな家庭、二つの場面は一見正反対に見える。
意志を貫いた若者の苦悩や周囲の無理解による重すぎる状況が、映画にされたことの微かな希望を感じさせる。
一方、意志を放棄している人びとの姿には胸とてもが痛んだ。
本心や意思を削いで生きていく疲弊に、何がもたらされるのか。
茶番は茶番だと慣れたら、それは自分が割りきったのではなく、飼い慣らされ意志を奪われた状態。