映画デート
てことで
本日は、こども達とママをおいて
映画デート。
作品はボルト!
3D映像 初体験!
ボルト
ま、内容は単純で 途中間延びもするんで いまいちかな~
原題:Bolt
監督:クリス・ウィリアムズ、バイロン・ハワード
製作:クラーク・スペンサー
製作総指揮:ジョン・ラセター
脚本:ダン・フォゲルマン、クリス・ウィリアムズ
音楽:ジョン・パウエル
製作国:2008年アメリカ映画
上映時間:1時間36分
配給:ディズニー
ハリウッドのスター犬の冒険を描いた3DCGアニメーション。人気子役のペニーに引き取られ、撮影スタジオで育ったボルトは、“スーパーパワーでペニーを守る”というTVの設定を現実だと信じ込み、毎日必死でペニーを守る日々を過ごしていた。ある日、TVの中でペニーが悪役にさらわれ、ボルトはペニーを救出するためスタジオを飛び出すが……。ボルトの声をジョン・トラボルタ、ペニーの声をマイリー・サイラスが務める。
本日は、こども達とママをおいて
映画デート。
作品はボルト!
3D映像 初体験!
ボルト
ま、内容は単純で 途中間延びもするんで いまいちかな~
原題:Bolt
監督:クリス・ウィリアムズ、バイロン・ハワード
製作:クラーク・スペンサー
製作総指揮:ジョン・ラセター
脚本:ダン・フォゲルマン、クリス・ウィリアムズ
音楽:ジョン・パウエル
製作国:2008年アメリカ映画
上映時間:1時間36分
配給:ディズニー
ハリウッドのスター犬の冒険を描いた3DCGアニメーション。人気子役のペニーに引き取られ、撮影スタジオで育ったボルトは、“スーパーパワーでペニーを守る”というTVの設定を現実だと信じ込み、毎日必死でペニーを守る日々を過ごしていた。ある日、TVの中でペニーが悪役にさらわれ、ボルトはペニーを救出するためスタジオを飛び出すが……。ボルトの声をジョン・トラボルタ、ペニーの声をマイリー・サイラスが務める。
待ち合わせをまちぶせと思いこんでいた
ふみっぷ、畳屋の前で「まちぶせな!」
オッケー!じゃ朝6時な!
私は子供の頃、とても「言葉」を間違えていた。
今もあまり進歩してない気がするが、とにかく激しく間違えていろんな言葉を扱っていた。
まち合わせを待ち伏せ
エレベーターはエベレーター。
セレクトをエレクト
ピストン輸送をピストン運動
ホテルをモーテル
ただ、私の間違いを指摘する事なく、むしろ同じように間違えている仲間がいたから、私と友人の間ではその言葉が成立し、正常語として頻繁に使われた。
そして中学ぐらい迄はその言葉が正しいと本気で思っていた。
「知ってる?○マートでノコが500円だぜ!」
「まじ?! 買い行こうぜ!!!!」
東村山の駅前でこんな会話をする小学生に最近出くわした。
2人は、まだそんな古くもないランドセルを背負い駅の方向へ向かって
私の前を歩いていた。
小学校低学年の2人の会話はどうやら「クワガタが近所のホームセンターで安く売っている」だったようだ。
ノコとは恐らくノコギリクワガタのことであろう・・。
この呼び方は私が子供の頃と変わっていない。
変わったのは、「捕まえる」が「買う」に替わり、獲物キャッチの場所が森からホームセンターになったことだ。
おい、ちょっと待て・・・・。
そもそもクワガタを買うってどういう事?
間違っていないかい?
夏休みになると、毎日のように早朝、友達と待ち合せをして近所の森にクワガタやカブトムシを取りに行ったモノだ。
まだ朝もやの立つ湿気の多い森をそこら中かに食われながら目的に木に向かいクワガタの捕獲作戦に一喜一憂した。時には一匹もとれずに坊主で帰るときもあれば、時には重戦車のような重いカブトムシと、ブーメランのようにキレイに湾曲した大きな歯を持った、赤茶色に輝くのこぎりのダブル!おまけにコクワやカミキリムシ等、大漁な時もあった。
我々子供達にとって「クワ獲り」は夏の最も熱いイベントであった。
それが今は買うのである。
しかも、どこのポイントにノコが『いる!』ではなく何処の店が『安い』なのだ。
なんとも寂しい物である。
もっとも、こんな会話も都会ならではの会話で、まだまだ田舎の方では「虫獲り」をする子供も少しはいることだろう。
しかし、少子化のおり、子ひとりにかける金額も増え、店頭に並ぶ子供向け商品も様々。当然、この夏の熱いイベントにも金の匂いを嗅ぎ付けたやからがいて、店頭に「カブトムシ」を並べたところ、きっと当たったのであろう。
夏の熱いイベントは、獲れる時とそうでない時が有って、そうでない時が多いから「当たり」のカブトやノコに価値があった。
ところが、今や獲れる時は「安い」時。とばかり、ディスカウント各店が『カブトムシ』をこぞって折込みチラシに掲載。子供達は眼を皿のようにして、ママに買ってもらえる金額の「カブトムシ」を探す訳だ。
子供の自然と交わる数少ない夏のイベントをも、大人は市場機会として収益を期待するようになってしまった。
「知ってる?○マートでノコが500円だぜ!」
「まじ?! 買い行こうぜ!!!!」
この言葉の悲しい真実を、カブトムシをマーケットに出した人たちは分かっているのであろうか?
『欲しい物はお金を出せば何でも揃う』と子供の頃から思わせてしまう今の社会構造にテポドン以上の脅威を覚えるのは私だけであろうか?
私の「間違った言葉」のように 周りがおなじように間違えて「言葉」ならぬ「社会」を扱って行くと、とんでもない未来が出来上がってしまうような何とも言えない不安を感じる。
記事のような視力の低下は中国だけの問題ではない。
ネットやテレビゲーム影響に寄るところは大。
私のように30半ばを過ぎても視力2.0も問題のようだが
視力以上に世の中を見る眼が低下しないことを祈る。
子供達は間違えない。
我々大人が「間違い」をしっかり教えて行かない限り
子供達は「間違える」そして、これからの社会を創る次の担い手である彼等にあたえる「今の影響」その痛手は大きい。正か非かの区別のつくしっかりとした「眼」を育んでいくのも我々大人にとっての責務なのかもれない。
東村山駅であった子供達は無事ノコを買う事が出来たのであろうか?
そしてその利益は幾らだったのであろうか?
そして僕は「間違い」を起こさない大人であろうか
そして子供達に「間違い」を教えて行けるのであろうか?
そして僕は何ができるだろう?
オッケー!じゃ朝6時な!
私は子供の頃、とても「言葉」を間違えていた。
今もあまり進歩してない気がするが、とにかく激しく間違えていろんな言葉を扱っていた。
まち合わせを待ち伏せ
エレベーターはエベレーター。
セレクトをエレクト
ピストン輸送をピストン運動
ホテルをモーテル
ただ、私の間違いを指摘する事なく、むしろ同じように間違えている仲間がいたから、私と友人の間ではその言葉が成立し、正常語として頻繁に使われた。
そして中学ぐらい迄はその言葉が正しいと本気で思っていた。
「知ってる?○マートでノコが500円だぜ!」
「まじ?! 買い行こうぜ!!!!」
東村山の駅前でこんな会話をする小学生に最近出くわした。
2人は、まだそんな古くもないランドセルを背負い駅の方向へ向かって
私の前を歩いていた。
小学校低学年の2人の会話はどうやら「クワガタが近所のホームセンターで安く売っている」だったようだ。
ノコとは恐らくノコギリクワガタのことであろう・・。
この呼び方は私が子供の頃と変わっていない。
変わったのは、「捕まえる」が「買う」に替わり、獲物キャッチの場所が森からホームセンターになったことだ。
おい、ちょっと待て・・・・。
そもそもクワガタを買うってどういう事?
間違っていないかい?
夏休みになると、毎日のように早朝、友達と待ち合せをして近所の森にクワガタやカブトムシを取りに行ったモノだ。
まだ朝もやの立つ湿気の多い森をそこら中かに食われながら目的に木に向かいクワガタの捕獲作戦に一喜一憂した。時には一匹もとれずに坊主で帰るときもあれば、時には重戦車のような重いカブトムシと、ブーメランのようにキレイに湾曲した大きな歯を持った、赤茶色に輝くのこぎりのダブル!おまけにコクワやカミキリムシ等、大漁な時もあった。
我々子供達にとって「クワ獲り」は夏の最も熱いイベントであった。
それが今は買うのである。
しかも、どこのポイントにノコが『いる!』ではなく何処の店が『安い』なのだ。
なんとも寂しい物である。
もっとも、こんな会話も都会ならではの会話で、まだまだ田舎の方では「虫獲り」をする子供も少しはいることだろう。
しかし、少子化のおり、子ひとりにかける金額も増え、店頭に並ぶ子供向け商品も様々。当然、この夏の熱いイベントにも金の匂いを嗅ぎ付けたやからがいて、店頭に「カブトムシ」を並べたところ、きっと当たったのであろう。
夏の熱いイベントは、獲れる時とそうでない時が有って、そうでない時が多いから「当たり」のカブトやノコに価値があった。
ところが、今や獲れる時は「安い」時。とばかり、ディスカウント各店が『カブトムシ』をこぞって折込みチラシに掲載。子供達は眼を皿のようにして、ママに買ってもらえる金額の「カブトムシ」を探す訳だ。
子供の自然と交わる数少ない夏のイベントをも、大人は市場機会として収益を期待するようになってしまった。
「知ってる?○マートでノコが500円だぜ!」
「まじ?! 買い行こうぜ!!!!」
この言葉の悲しい真実を、カブトムシをマーケットに出した人たちは分かっているのであろうか?
『欲しい物はお金を出せば何でも揃う』と子供の頃から思わせてしまう今の社会構造にテポドン以上の脅威を覚えるのは私だけであろうか?
私の「間違った言葉」のように 周りがおなじように間違えて「言葉」ならぬ「社会」を扱って行くと、とんでもない未来が出来上がってしまうような何とも言えない不安を感じる。
記事のような視力の低下は中国だけの問題ではない。
ネットやテレビゲーム影響に寄るところは大。
私のように30半ばを過ぎても視力2.0も問題のようだが
視力以上に世の中を見る眼が低下しないことを祈る。
子供達は間違えない。
我々大人が「間違い」をしっかり教えて行かない限り
子供達は「間違える」そして、これからの社会を創る次の担い手である彼等にあたえる「今の影響」その痛手は大きい。正か非かの区別のつくしっかりとした「眼」を育んでいくのも我々大人にとっての責務なのかもれない。
東村山駅であった子供達は無事ノコを買う事が出来たのであろうか?
そしてその利益は幾らだったのであろうか?
そして僕は「間違い」を起こさない大人であろうか
そして子供達に「間違い」を教えて行けるのであろうか?
そして僕は何ができるだろう?





