グンマー帝国へ 2024 初秋の旅 DAY5 夕方までには雨に急いで回るも雨に降られる。
五日目、天気予報を確認すると夕方には雨との予報です。三日間お世話になった宿から高崎市内の宿に移動します。電車でもよかったのですが、前日自転車に乗れていないので前橋から高崎まで自走で移動します。荷物を宿に預けて高崎駅から輪行で移動するまえに駅前で輪行状態で転倒してしまいます。輪行状態で楽に移動できるシート下の駒が小さい段差に引っかかったのが理由です。その際見覚えのない小さいプラスチック製のレバーを拾ったのでとりあえず回収して今日の目的地の最寄り駅まで輪行で移動します。 本庄駅下車。自転車を展開して折れたレバーの元の場所を探したら見つかりました。 パーキングブレーキのレバーです。 転んだ時にどこかに引っかかってもげたようです。 気を取り直して今日の目的地を目指します。建物奥にひっそりとある関東騒乱の場所となった五十子陣跡です。不思議の人室町幕府の初代将軍足利尊氏が関東を統治するために設置した鎌倉府とそれを支えるために配置した関東管領が時代を経るとともにいがみ合うようになり、戦い、裏切ったり繋がったりすることになった、その場所の一部分です。場所は関東平野の北端にあり、鎌倉を逐われた古河公方と関東管領との戦い、関東管領の家宰長尾氏の家督争いなど騒乱の場所となりました。 いまにも雨が降り出しそうなので次の目的地に移動します。本能寺の変で織田家の権力が消失した後、関東で取り残された滝川一益は上野を取り戻そうと侵攻してきた後北条軍との戦いになります。 一益は神流川まで進出し一旦は後北条軍を押し返します。 神流川の戦いの時滝川一益が指揮を取った軍配山を訪れます。 初戦は後北条軍を撤退させることができたものの当主氏直が率いる本隊との戦いに敗れた一益は一説には人質は即座に解放して、または国境まで身の安全を確保してから人質を解放し本国伊勢へと逃げ帰りますが、織田家重臣の地位を失い、後継者を決める清洲会議には出席できませんでした。 神流川北岸にある神流川合戦場跡石碑にも寄ります。 神流川合戦での戦没者を慰霊する神流川合戦首塚と 同じく胴塚稲荷に寄りますが、いよいよ空が怪しくなってきたので、慌てて高崎方面に戻ることにします。ですが、途中でどうにも雨が強まります。仕方なく一区間だけですが輪行で高崎へともどりました。 高崎駅下車。まだ日も高く時間もありましたが、雨の所為にしてホテルにしけ込みます。 翌日は帰ることに集中。東京駅ではドクターイエローに遭遇し、人混みの中予約していた新幹線にのって帰阪しました。消化不良な場所もあるのでまた群馬を訪れようと思います。