九州鍵の手縦断旅2025 DAY7 帰阪へ、その前に飫肥へ
長かった九州鍵の手縦断旅も終わろうとしています。あと一日余裕があったら宮崎市内をもっと堪能したかったところです。最初は鹿児島に一旦移動して鹿児島中央から新幹線で帰ろうとか、と思いましたが志布志からフェリーで帰っても料金的にはほぼ同じ、一泊する分宿代が余分にかかるのと、都市圏を通過するので新幹線車内で気を遣うのと、と考えるとフェリーが好都合である、ということになりました。出航時間は夕方なんですが、その前に寄っておきたい場所がありましたので最終日もそこそこ早めに宿をチェックアウトします。 南宮崎駅にやって来ました。ここから日南線が始発で出発する列車に乗ります。 多くの人が下りていった青島は今回は寄りません。空いていた車内がさらに空きます。1時間ほど列車に揺られて到着したのは日南市北部の街、飫肥です。 名物の飫肥杉でつくられた駅名標です。 飫肥、という街を見つけて以来ずっと訪れたかった街です。ただ大阪から行くにはなかなか不便な場所にあり、さてどうやって行くべきか、と頭を悩ませました。 まずは市外の中心地、飫肥城へと向かいます。飫肥はここより東、油津につながる要衝として島津氏と伊東氏の係争地となります。しかし伊東氏は没落し島津氏の支配するところとなりますが、秀吉の九州征伐に寄って島津氏は薩隅の二州に押し込められます。その後義祐三男祐兵が秀吉に仕官し山崎の戦いで軍功をあげ、その後も関ヶ原の戦いの時、東軍に与するなどして飫肥へ復することになります。 城内は整備されており、石垣と飫肥杉が訪れる人を迎えます。 本丸内です。ここも多くの飫肥杉が天へと伸びています。義祐の代で一度は没落した伊東氏は祐兵の代で日向に復し、無事明治維新を迎えます。 飫肥にはいまひとり著名人がいます。ねずみ公使こと小村寿太郎です。小柄であったということがよく知られていますが仕事ぶりは並みの人以上のことをやり遂げ、ロシアとの講和条約であるボーツマス条約を締結し日露戦争は終わります。 その近くに飫肥藩伊東氏の墓所があります。真ん中の一番小さいお墓が祐兵のお墓です。 その横に正室阿虎の方が眠ります。 義祐のお墓も対面にありますが、義祐は大阪の堺で無くなったのでそちらにもお墓があります。 飫肥駅の東側の丘には小村寿太郎の銅像があり、その目は遠くポーツマスを見つめているのだとか。 列車の時間が来たので飫肥駅へと戻り、志布志駅までの長時間の電車旅を終えます。 志布志駅で最近人気のちいかわ作者ナガノ氏のグッズを大量購入します。無名時代にナガノ氏側から応募してきたキャラが採用されているのだとか。 フェリーの出航時間までは時間はありましたので志布志城へと向かおうか、とも思いましたが最後の最後でトラブルで間に合わない、という事態は避けたいので無理せず港へと向かいます。 無事に乗り込みこれで大阪へと帰れます。 ややうねりがあったものの無事大阪へと到着、長い九州の旅が終わりました。