第73回全国ろうあ者大会inいわて に来ました。

6月13日夜、手話劇 運転免許裁判 アーカイブ上映 を観てきました。

 

今回の大会参加の目的の半分以上は、この手話劇「運転免許裁判」のアーカイブ上映を見るためでした。期待以上の心震える内容でした!
2004年の6月13日、盛岡で第52回全国ろうあ者大会が開催されたときに上演されたそうです。内容は樋下光夫さんの実話をもとにしたストーリー。


昭和43年代、樋下青年は生活するのに必要なため、やむをえずバイクの無免許運転を繰り返す。「ろう者には運転免許を与えない」とする道交法88条の壁に、免許取得を拒絶され続けてきた末に、歴史的な裁判に取り組んだそうです。
国を相手取っての裁判、樋下さんはろう者の権利取得のためと闘ったのに対し、国は個人的な経済的利益を目的としていると矮小化して、懲役刑の判決が下されました。
ですが裁判を通して全国的にろう者の運転免許取得の問題が知られるようになり、警察庁は補聴器条件で免許を認めることになったのでした。樋下さんは裁判に敗れましたが、その後の多くの聴覚障害者の権利向上に寄与することになったのでした。
劇の主役は実際の樋下さんと違い、発語の少ない手話バリバリのろう者の造形でしたが、演劇上は成功していましたね。力のこもった演技、感情の大波を表出して見る者に迫る表現。たちまちひきこまれました!運動の過程で、我が国初のろう者弁護士、松本晶行さんや、ビラ配りのシーンで福島の板橋さんらしき方、大勢のろう者が関わっていたことも忘れてはいけません。
当時の世相、モータリゼーションが発達して全国的に交通事故が急増する中、それまで黙認的に免許を取得できたろう者も更新を拒まれるケースもあったようです。

劇中、彼ら彼女らの悲憤の声、めげない精神に何度も涙腺を揺さぶられました。

演劇そのものも完成度が高く、ろうあ者大会だけで見るのはもったいないほどの作品です。映画にしてもいいんでないかなw
オガワは生前の樋下さんとの交流があり、もちろん裁判のことは知っていたのですが、歴史的な背景までは知りませんでした。改めてすごい人だったのだな!と目を開かれたような気がします。
蛇足ながら2004年の上演終了後のカーテンコールで、当時裁判の手話通訳を実際に担当されていた半沢啓子さんや、樋下さんご本人が登場しておられました。お二人の姿、懐かしく拝見しました。いいものを見せていただきました。

 

一方で思うのは、運転免許裁判は樋下さんだからできたのではないか、ということです。
発語の難しいろうあ者だと、当時の社会環境ではなかなかコミュニケーションに理解が得られず、周囲との関係を深めていくことが困難だったのではないでしょうか。
発語のできる樋下さんだったから比較的聴者と意思疎通しやすく、主張が伝わりやすい面があったと思われます。
ろうあ者の代弁。
ろう者と利害の共通する、たとえば中途失聴・難聴者にこそ可能な役割だったのかもしれません。
今ではろうあ者も発信手段が増えて、その役割も減じてはいますが。

 

翌朝、盛岡市内を趣味の朝ラン。
途中立ち寄った、盛岡地裁の石割桜。
樋下光夫さんの人生を想いながら拝見しました。
ここは亡くなられた樋下さんのお宅も近いようです。