メモ書き。

聴覚障害とあまり関係ないですが、日本の現状と今後について、重大な示唆であると感じます。

 

オリンピック・パラリンピックについてのメモ

 

大戦後19年、1964年のオリンピックの一部は、東京南西部、アメリカから返還された軍用地で開催された。

日本が敗戦から復興するシンボル。

来年開催されるとすれば、コロナの危機を乗り越えることが大きなテーマになるだろう。

成功すれば、「東日本大震災や福島原発は何だったのか」を問わなくてもよいという、免罪符になりはしないか。

 

前回のオリンピック後、特に70年代は、日本全国が都市化されていき、労働者階級と中産階級の格差が減少(一億総中流化)していく過程にあった。「東洋の魔女」のストーリーもその中にあった。戦時中の富国強兵、殖産興業、戦後日本の高度成長と結びついている。

新聞で東京オリンピックへの言及は、70-80年代にかけてゆるやかに減少していた。90年代以降再び少しずつ増加していた。高度成長時代の再体験ドリームがある。

2005年石原都知事(当時)が2020オリンピック・パラリンピック開催に取り組んだ背景に、彼なりの政治的嗅覚があったのではないか。バブル崩壊後の経済停滞の10年、15年からの回復という目標に加え、その後起きた3.11からの復興も。コロナへの対応も含まれるかもしれない。

しかし1964年当時とは歴史的な文脈や社会構造が変わっている。ここに当時の感覚でオリンピックを持ってきても、無理が生じる。

 

聖火リレーは1936年ベルリンオリンピックから始まった。ナショナリズムのよく現れるパフォーマンス。64年オリンピックの聖火リレーのスタート地点4つのうち一つは宮崎。高天原をひとつの基点に全国をまわり、最終的に4つの火は皇居前広場に集められた。天皇制国家の歴史を象徴している。日本独特の意味を持った。例えばアメリカでは自国開催のオリンピックでも、聖火リレーは大きな関心事ではないようだ。オリンピック開催にこだわりを持っているのは、東アジアや中南米の国々。

1900年のパリ、1904年のセントルイスオリンピックでは、同時に開催されていた万国博覧会のアトラクション的な位置づけだったようだ。それが1936年のベルリンオリンピックでナチス政権がナショナリズムに組み込んでしまった。その枠組みが1980年前後まで続く。

だが76年のモントリオールオリンピックが景気停滞の影響で興行的には失敗、80年のモスクワは西側のボイコット。IOCが困って、オリンピックはアマチュアリズムを放棄し、グローバリズムとコマーシャリズムに変わっていった。

2000年以降はグローバルな五輪の限界が出てきた。2020年東京オリンピックも、日本社会における五輪神話の限界と結びついている。二重に限界が出てきている。

 

今までの価値軸を転換する必要がある。高度成長期のオリンピックが「より早く、より高く、より強く」だったのが、今後は「より穏やかに、より低く、よりしなやかな」「持続可能」なあり方に転換していく可能性。

コロナ・パンデミックの広がりで、1964年東京オリンピックのような輝かしい体験をもう一度味わいたいという、神話的願望が挫折する可能性が高まってきた。

今は「反省がしやすい」時期ではないか。

震災から復興した日本を見てもらうことはできるのかもしれない。高度成長のサイクルは終わっている。キーワードは「文化的なサスティナビリティ」ではないか。

都市生活のスピードを落とす。たとえば水辺が復活した東京。環境的な豊かさを維持していく都市を追求する。

開催するにしても、観客を減らしてサイズダウンする。

日本社会の中で、オリンピックの受け止め方が変わるのではないか。

 

対談=吉見俊哉×アンドルー・ゴードン あるべき五輪と都市のために
(週刊読書人 7/10より抽出)
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当事者活動畑から見ると、2006年障害者権利条約制定を機に、日本でも流れが大きく変わっています。
2016年に差別解消法が施行。

JIS Z 8071(2003)規格作成における高齢者・障害者のニーズへの配慮設計指針? も、環境面で後押ししてくれてますね。
2012年、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)策定の目標が国連で合意されたのもありました。

東京オリパラでの競技施設・交通機関アクセシビリティへの取り組みも、当事者参加で多様な取り組みがありました。

こうした面では確かに変わりつつあるのを実感しています。

共通認識を持つ方は、団体のトップ近くにいる方が中心になってしまったようですが、今後の10年でさらに広く共有されるようになっていくでしょうか。