日本にいて、キョーレツに不満に感じることは、ストレートにほめてくれる人が、ほとんどいないこと!
○気軽にほめない。
○率直にほめない。
○頑張ってる人をねぎらわない。
私もー、むくわれなくて疲れたっ!!
ほめられたい!!
それとも、私が、ちやほやされ過ぎてきたのかな?
女友達同士だと、リアルではけっこうお互いをほめあうところがある。
でもLINEなんかでは、そういうコミュニケーションは淘汰されたように、私は感じる。
男性は、リアルでもネットでも、ほめるのがヘタだし、全然たりない。
私は、自称・若いころはかなりモテた。
自称ね。(笑)
家庭に居場所がなかったから、女子からも男子からも、ほめられることで、生きていて良いんだって思い続けられた。
とはいえ、いろんな男子が電話(時代がバレるw)して来ても、ほめられることは少なくて、私をほめない男子は私に気がないんだろう、と恋愛対象外だった。
今おもえば、気があったから、勇気を出して電話してくれたのかもしれない。
それに比べて、インターナショナルスクールの男子は、とてもほめ上手だった。
当時はインターナショナルスクールの男子とよく遊んで、何人かと付き合った。
彼らは、本当にほめ上手で、仲の良い普通の友達が、会って一言めに、
「あれ?今日かわいくない?」
「今日オシャレじゃん」
って、ストレートにほめてくれる。
下心はない。やらしくもないし、媚びてもない。
率直なだけなのだ。
恋人になれば、私のために作詞作曲して弾き語りしてくれたり、私が主人公の小説を書いてくれたり、とにかく優しい。
逆に、インターナショナルスクールの女子たちは、人間としてリスペクトしてる相手しか、ほめなかった印象がある。
でも、中身で認めあった女友達同士の絆は強くて、今も健在だ。
その後、私は19歳から26歳をニューヨークで過ごす。
ニューヨーカーは(他の都市や国は知らないのでニューヨーカーと書くけど)、デリのレジの列で前後になっただけで、気軽に会話する。
ニューヨークは人種のるつぼというより、個性のるつぼ。いろんな人がいる。
言葉を交わせば、ほめられるワケじゃない。
それどころか、初対面でケンカになることも多い。
主張しないと、生き残れない社会だから。
でも、通りすがりの人に、
「その髪色すごくいいね!」
と、叫ばれたり、
歩いている私の横にバス停でも無いのにバス(普通の市バスw)を停めて、(もちろん乗客がいる)ガーっとドアを開けて、
「美人さん、おはよう!」
と言って、走り去っていったこともあったw(実話)
ニューヨークでは、知らない人に、実によくほめられる。
友達同士でも、相手の長所を自分のことのように自慢に思って、友達の才能を過大評価することで応援するような風潮があった。
私は日本に帰ってから、日本のノリに合わせられなくて、うつ病が悪化して2年間ほぼ寝たきりになって自殺未遂を繰り返した。
日本人とうまくコミュニケーションできるようになるまで、苦しい2年間だった。
今でも、正直、日本人とのコミュニケーションは難しい。
空気が読めない。
はっきりしない。
本心が分からない。
英語圏のがラクだし、おしゃべりになれる。
最近、あまりにほめられない日常がつらくなってきた。
ちやほやされたいんじゃない。
ほめ言葉が、人間が誰しも脳内でやっちゃう自己批判の声をかき消して、『心の平穏』つまり、私は存在する価値のある人間なんだと思える、自己肯定感をもたらしてくれるから、ほめることは人間同士がおこなう大事な役割のある社会行動なんだと私は思った。
あまりにほめられないことが長いと、
「頑張ってるのに、全然むくわれない!!」
って、不満がつのる。
まさに、今の私。
これは、過労自死が後を絶たないのも当たり前。
私は、仕事がら人をほめることが多い。
仕事は、セミプロの絵描きさん達の世話役みたいな立場。
相手は美意識で勝負している人たち。
私は、個性を活かして、長所を伸ばす方針。
欠点は、その人の今の個性だし、将来の画風の芽だから、摘みとらない。
本人がその欠点に不満がある場合だけ、解決策をいくつか提案する。
ダメ出しは絶対しない。
アーティストに型を押し付けることは罪深いから。
ほめてばかりで、どんなに頑張ってもほめられない日々。
しかも自営業なので、不満やクレームは全て私にくる。
頑張ったら、むくわれたい。
たまには、ほめられたい。
今朝は、そんなことをモーレツに思った。
ほめ上手な彼氏 大募集中!!(笑)