本日ThanksGivingDay。

アメリカにおいては日本のお正月のように重要な祝日。

イギリスから新天地をアメリカに求め来た人々が

艱難辛苦を乗り越えて、インディアンたちと手を携えて(させて)

1621年、この北東の大地で初めて収穫を得たことを

神に感謝したのがそのはじまりとされます。

現在では七面鳥をまるっと焼いて家族とディナーを囲みます。


我が家は、プリマスというボストンから南に80マイルほど行った

新教徒初上陸の地で、オリジナルのThanksGivingDinnerを食す

パーフェクトな計画を練っていましたが風邪により断念。


午後からお友達のお宅にお邪魔し

七面鳥をいただいて、ほろ酔いの夫と

押し車で遊びつかれた息子は

帰るなり眠ってしまいました。


我が家は明日がお客様。

準備をしなくてはいけないのですが。


腰が上がらないので、ThanksGiving関連の

記事を読み


仲間や家族がが毎日寒さと飢えと病で倒れていく中

肥沃とは程遠い北の地で最終的に何とか収穫を得た人々が

その収穫の食卓を囲んだ時の感謝の気持ち


にというものに思いをいたしてみました。


記事のおとしどころ↓

 今ある毎日を当然のものと思ってはいけない。

 常に感謝の気持ちを忘れないものは幸せ。

 不幸せなものはすなわち感謝しない人々である。


でも、彼らは、感謝の気持ちを持とうが持つまいが

周りの人々は死んでいったし、作物はさっぱり取れなかった。

イギリス本土からの支援は打ち切られたし、その上

わずかな収穫をヨーロッパに送っても積荷は海賊に奪われた。


もし感謝して日々を暮らしてしたのに、こんな状況下だったら

その後収穫が得られたからといって何に感謝すればよい?

やさぐれないだろうか?


と考えてしまいましたが、


 感謝はするべからず


という格言は、世に受け入れられていないようだし

それを声を大に叫ぶには大変な勇気が要る。

一字変えて

 感謝わするべからず

て方が、俄然立派な社会人ていう感じです。


同じ記事によると、


 常に身を慎めば、喜びはより大きなものとなる


ふむふむ。


これはとても良くわかる。


素直なAさん

 今日もご飯はご飯とお漬物だなー

 (でも仕方ないな)

 と思っているときに

 戻りガツオのたたきと

 和牛のステーキだったりしたら?


 「みんなありがとう!!幸せだ!」



やさぐれたBさん

 今日もご飯はご飯とお漬物なんて

 (やってられねーぜ!)

 と思っているときに

 戻りガツオのたたきと

 和牛のステーキだったりしたら?

 

 「これが普通だろ!なんで毎日こうじゃないんだ!不幸だ!」



結局、「感謝」とは

幸せに生きるための処世術ということでしょうか。


「情けは人のためならず」


の意味が、『人にかける情けは自分に返ってくるぞ、お得だぞ』なんだと

知った時と同じ一抹の寂しさを覚えます。


別の見方をすれば、

大きな苦難を乗り越えた時、その安堵から

過去を恨むよりも、感謝せずにはいられない

乗り越えられたことに感謝するから

もう二度とこんなことはないように祈らずにはいられない

という切ない程の苦しみがあったのではないか

とも思います。


どちらにせよ、感謝というのは、普段使われているほど

美しく耳障りの良いコトばかりではないということでしょうか。