生活行為のほとんどが、自動化されて行われていることであり、つまり無意識のレベルである。

しかし、子どもたちはこれを無意識にできない。

だから、意識的に顕在化して行わせる必要がある。自分がそれをしようと意図しているのではなく、教師や親がその意図を持たせようとしている。


これを意識的にできるように自分でなっていく。それが無意識的に、つまり自動化した生活行為になれば、他のことに意識活動をもっていくことができるのかもしれない。


生活行為にどんな意図があるのか、そんなことを子どもたちに分からせることはできないし、私たちもわかっていない。

しかし、そこに報酬系や情動系、生命活動などが寄り添っていることで、そこに意図を持つことができる可能性を持っていると考える。