本とコーヒー

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読んだ本の感想やメモなど

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るろうに剣心 通常版 [DVD]/アミューズソフトエンタテインメント
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実はどんな話か知らなかった。

昔、アニメが放映されていた頃にちらっとみた程度。剣心の「おろろ」が鼻について好きになれなかったから。

Jポップの主題歌が印象的だったな。


映画では、佐藤健がアレをいったいどうするのか…ひやひやしながら観てたのだけど、彼はうまかった。

人が変わるだけで、セリフの印象ってずいぶん変わるもんだ。

佐藤健の自然で、さりげない発音は、私を「はあっ」と安心させてくれたのだった。ありがとう、佐藤健。


実は映画を観た後で、るろうに剣心の二次小説がアツい!ことを知った。

中には思わずプロなの?と思ってしまうような作品もある。

すっかりハマってしまって、SSサイトをハシゴしまくりました。あらかた読みつくしてようやく落ち着く。

あー楽しかった、るろ剣SS。


読みながら思っていた。るろうに剣心には、萌え要素がてんこもり。

剣心の背負う重すぎる十字架。それが障害となって進展しない現在の恋。涙の別れや再会に、死闘。


先日ゲオで原作漫画の最終巻だけを立ち読みして、ラストのあまりのあっけなさに驚かされた。

これで読者は納得するのだろうか?いや、しない。しないに違いない。

剣心と薫の恋は完全にすっとばされて、あっという間に子持ちの夫婦になってて、それでおしまい。

これじゃあ「行間を埋めたい!!」という熱いSS作家が巷に溢れるのも無理はない。


おっと、そうだ。映画の感想を書くんだった。

映画は、うーん、佐藤健の剣心がステキだったのと、やっぱり蒼井優がよかったのと。

薫役の武井咲には賛否両論があるみたいだけれど、私は好きだったな。あどけないけど、剣を握ったときはそれなりに凛々しかったし、世間知らずゆえの無鉄砲さも、天真爛漫な明るさも、まんま武井咲の雰囲気にぴったりじゃないかと思った。

そうそう、剣心に「行くところがないならうちに来なさい」とおせっかいを焼く場面、武井咲の演技にはいやらしさがない。こんなワケありのイケメンを、あれほどキッパリ健全に誘える女はなかなかいない(と思う)。佐藤健の目力もあいまって個人的に私はこのシーンが大好き。

ここをさっぱりと演じられるだけでもキャスティング大成功な気がするんだけどな。

アンチ派の方々は誰ならしっくりくるのだろう。


それから評判どおり、殺陣のシーンが見ごたえあって楽しめた。

悪役がクドすぎていまいちだったのは、原作が漫画なんだから仕方ないとして。


続編、出るのかなあ…。

個人的には、人誅編は胸が痛みすぎるので観たくない。OVAもヤダ。

できることなら原作者が描かなかった、剣心と薫の幸せなラブストーリーが観たい。

次回作はいっそステキなSSを原作としてみるというのはどうでしょう?



洋菓子店コアンドル [DVD]/ポニーキャニオン
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突然自分のもとを去っていった恋人を探して、東京に出てきた主人公なつめ。

恋人が勤めている店、洋菓子店コアンドルを探し当てるが、すでに彼はいなかった。

コアンドルのケーキに惚れ込んだなつめは、店主依子に頼み込み、住み込みで雇ってもらって、パティシエの修行をしながら恋人を探すことにする。


なつめは、わがまま、自己中、自意識過剰。

KYで、図々しくて、平気で暴言を吐く。

とんでもない性格のはずなのにかわいくて、なぜか憎めない。


案の定というか、なつめは失恋するのだけど、彼女にはパティシエの仕事があり、それが恋を失った彼女を支えてくれる。


豆だ。(『太陽のパスタ、豆のスープ』参照)

豆をみつけたなつめは、いろいろありながらも、周囲の人に助けられ、励まされて豆を育てていく。

それは、なつめが豆を好きで、それを一生懸命育てようとする姿を、みんなが見てるから。

なつめの周囲にいる人間は皆確固として、たしかな豆を持つ人ばかり。

なつめの性格に少々難があろうが、豆への情熱という共通点が、なつめと周囲との絆を結ばせるんじゃないかなと思えた。

太陽のパスタ、豆のスープ (集英社文庫)/集英社
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久しぶりに小説を読みました。

きのう本屋さんでなんとなく手にとってみた1冊。

おもしろかった。

この作家さん、好きだなあ。別の著作も読んでみたくなった。話題作もあるみたいだし。


ストーリーは、突然婚約破棄されて人生のどん底にいる女の子が、勧められてドリフターズ・リストなるものを作り、それを手がかりにして立ち直ってゆく…みたいな話。


ドリフターズとは「漂流者」のこと。

リストの作成を勧めた主人公の叔母ロッカさんが言うには、ドリフターズ・リストとは、「漂流する者たちの指針になるリスト」だ。それは「明日へのリスト」で、漂流者はまずやりたいことや楽しそうなこと、欲しいものを全部リストに書き出す。そうしてみたら、次はそれをひとつひとつ実行してゆく。

リストはどん底から這い上がるための手がかり足がかりなのだ。視界ゼロの状態でもリストがあればとりあえずもがきはじめることができる。

主人公もリストを頼りに少しずつ動き出してゆく。


主人公がリストについてちょっと積極的になってきた物語の後半あたりで、あるエステティシャンに、リストを作るのなんかやめたほうがいいといって否定される場面がある。

それは自分の気になっていること、自分にはできないこと、つまりは自分の弱点ばかりをあげつらった「不可能リスト」なのだから、と。


最初は手がかりとして有効でも、そのうち逆にリストに縛られ始める…というのは実感としてよくわかるなあ~と思った。自分の苦手なことにこだわって、それに囚われ続ける…というのは疲れるものだ…。マジメで真摯な生き方なのかもしれないけど。


その後の章に、主人公とロッカさんがまずい苺に練乳をかけて食べる場面がある。

最初は苺に練乳なんか邪道だと言っていたロッカさんだったが…


気づけばロッカさんが練乳のチューブを搾っている。

「練乳かけるのは邪道なんじゃなかったの」

指摘すると、

「いいのいいの、この際おいしければ」

そうだ、おいしければよかったのだ、ほんとの恋でもほんとでなくても、おいしかったら譲さんだって手放さなかった。


ここを読めてよかった。

この本を手にとってみてよかったと思った。

「おいしければいい」。

…たぶん根が妙にマジメで、正しさにこだわりすぎるきらいがあって、更に不可能リストへの未練からぬけだせないまま人生を迷っている…ような人にはガツンと響く言葉なんじゃないかな…。

少なくとも私には響いた。


話少し変わって、「豆」。

私も豆をみつけたい。いつかみつかるかな?


………

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)/集英社
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豆つながり。やっぱり読んでみようかな。

小説への扉をひらいてしまったかも。






いじめの直し方/朝日新聞出版

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いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)/講談社

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いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体/柏書房
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この3冊は、どれもいじめをテーマに扱った内藤朝雄さん(社会学者)の著作で、下にいくほど内容が濃く専門的になる。


著者が一貫して訴えているのは、「いじめは直せる」ということ。

「治す」ではなく「直す」とするのは、環境を変えることでいじめはなくなるのだ!というメッセージがこめられているから。


『いじめの社会理論』の第9章には、著者による新たな教育制度の提案がされているのだけど、ここ、読んでてわくわくした。

こんな社会にくらしてみたいな。


著者の提案する義務教育の「義務」とは

1.日本社会で生活していくのに必要最低限の知識を習得しているかどうかをチェックする国家試験を

  子どもに受けさせる保護者の義務

2.国家試験に落ち続けた場合には、後述の教育チケットを消化させる保護者の義務

3.国が国家試験を行い、またさまざまな学習サポート団体や教材を利用するためのチケットを

  国や地方公共団体が人々に配る義務


教育チケットとは

 教育チケットは教育のみに利用できる特殊貨幣で、義務教育用と権利教育用の二種類がある。義務教育用チケットは国家試験に合格するまで無制限に与えられる。権利教育用チケットは、収入に対して逆比例的に行政から配分される。この逆比例傾向を強くすることによって、機会の平等を確保することができる。もちろん通常の貨幣を使用することもできる。


権利教育とは

 権利教育は、当人が自己の意志によって参加する権利を有する教育である。国や地方公共団体は、この権利を万人に保障するよう義務づけられる。権利教育は生涯教育に含める。年齢制限はない。権利教育の対象は子どもから老人までのすべての市民である。また権利教育の場所は、老若男女が混じる市民的な空間となる。権利教育は、さまざまな年齢の人たちが混じりあって対等な市民として交際する市民状態にふさわしいものである。

 

街にはさまざまな学習サポート団体、市民クラブなどが林立し、学習者は質のよい団体を自由に選択できる。

9章の終わりに、教育チケットを使って勉強し、音楽クラブで元ミュージシャンの老人からドラムを習っているAくん(9最)の架空の事例が紹介されていたりして、おもしろかった。


………


【memo】


①中間集団全体主義


著者である内藤朝雄さんが提唱する新しい概念のようだ。

「国家と個人の間にある領域」を「中間集団」というらしく、戦時中の隣組、中国の文化大革命、戦後の学校や会社がそれにあたる。

全体主義を考えるとき、国家による圧政的支配(国家悪)に加えて、中間集団による圧力が強烈に存在することを忘れてはならないのだ、と(国家全体主義を縦糸、中間集団全体主義を横糸)。

これらの中間集団は、個人に対して過度な自治と参加を要求し、個人に対して徹底的な締め付けを行う。「われわれ」の共同性あるいは共通善から離れているように思われる隣人を吊るしあげ、血祭りにするという側面がある。


内藤朝雄さんのいじめの直しかたは、いじめに苦しむ子どもの「今」を救うことをテーマにしたものではない。

子どもをとりまく環境(制度)を変えることでいじめ問題の改善を目指そう!という提案なのだった。


レビューを読むと、「今すぐ役に立たない」という批判もあるみたいだけれど、私はとても勉強になったしおもしろかった。


②投影同一化


メラニー・クラインの概念。

メラニー・クライン(1882-1960)は、オーストリア・ウィーン出身の女性精神分析家で、専門は児童分析。


虐待の連鎖、嫁いびりの連鎖、いじめの連鎖…謎がとけた。

もちろん、全ての人にあてはまるわけじゃないと思う。

でもこれが「不幸の連鎖」のシステムのひとつであることは間違いない気がする。


「投影同一化においては、自己の一部が分裂されて、外的対象に投影される。その自己の一部は、自己の一部であり続けながらそのまま、外的対称と同一視されて体験される。投影された自己の一部は、その投影された他者との対象関係において、他者の中で生きられる。この心理メカニズムに準拠して、実際の他者コントロールが行われる。すなわち、「この外的対象は、自己及び内的対象の投影された部分によってとりつかれ、支配され、またそれと同一視されることになる」(Segal)


いじめた者がいじめるのはなぜか。

他人にかつての弱い自分を投影し、いじめる。そいつをいじめる(支配する)ことによって、自分の弱さを乗り越え、強くなったかのような感覚を得ることができる。この手ごたえがほしくて、繰り返し繰り返しいじめる。

いじめを通して、惨めな自分のストーリーが強い自分のストーリーに書き換えられてゆく。

そのためのいじめなのだ。納得。


…だとしたら虐待してしまうのは「俺(私)の中に流れるオヤジの血」のせいではないことになる。

少しは救いにならないだろうか…と思った。