どうも!豊田です☆
台風が刻々と近づいている中、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私の職場、はたまた介護に従事している方からよく聞く言葉あります。
それは、
「介護はお金じゃない!心だ!!」
という言葉です。
確かに介護は他の職種以上に「心のつながり」が必要です。
様々な疾患を抱えるご利用者の言動には「疾患に対する知識」が必要不可欠ですよね。
心と心のつながりが介護だ!というのもうなづけます。
しかし、
「介護はお金じゃない!」
というのはいかがなものでしょうか?
私はどうも腑に落ちないのです。
まるで、この低賃金の介護業界、残業だらけの介護業界を「無理矢理」正当化させようとするような乱暴な理論だな~と考えてしまいます。
だって、介護に従事しているものは「介護を仕事として選んだ」という事ですよね^^
ということは介護を通しての対価を得ながら、自分自身の生計を立てるという事ではありませんか?
私の職場では「介護のプロとは?」を常に模索しながらの日々を送っています。
それがご利用者の日々の観察からなる状態の変化の兆しや、疾患予防、薬や病気の知識などを深めることにイコールしています。
しかしどうでしょう?
ここにたどり着く前に「仕事のプロとは?」という概念がまるで浸透されていないのです。
この「仕事のプロ」という肝心な土台が形成されていないのです!
だからこそ、正当な意見も簡単に崩されてしまう環境が作られている…ということになっているのかもしれませんね^^;
「介護のプロ」の前に、職員が持つべき、「仕事のプロ」に対する概念の形成がなければ、
そこは無法地帯になりやすい状況で仕方がないのかもしれません。
第一、「お金と時間」に対する意識が低いのも重症だと思います。
「仕事として」介護をしているのであれば、その対価で頂いているという事実は消せません。
決まったお給料以上を見込めないのであれば、生計に対する覚悟と計算とそれでもどうにかできるシステムの構築も必然となります。
ここだけでも生計のルーティン化をしない限り、労力は相当を要するでしょう。
そして、どんなに努力をしても「金銭自体が発生しない行為」が業務内容であれば、その介護業務のどこに価値を付けるべきなのか?
そして、対価が見合わない状態での切り詰めた日々と、
コンプライアンスを無視した現場で行き着く職員の未来は?
残業だらけで疲れ切った体で、満足のいく生計を立てることが出来なければ、
職員の心は「健全な姿勢」を保つことが出来るのでしょうか?
介護が心だというのであれば、職員の心の状態も常に健全な状態を保つことも「業務内容」として必要なのではないでしょうか?
その部分を見て見ずして「介護は心だ!」というは
暴論という他にならないのです。
介護を仕事として頂いた対価を、自分の為(家族の為)に使用し、
そこで頂いた介護以外から成る日常のお金には変えられない
感性という「財産」をご利用者に仕事として還元する。
金銭が見込めない中、このサイクルを可能にするためには
職員の時間とプライベートで補うしか方法はないと思います。
「時間はお金に代えられない」
その時間を自分の為に使用する事。
それが心のゆとりを手に入れ、リフレッシュをし、
仕事だけをしていては関わる事のない景色を
得ることができることの価値を多くの介護職の方は忘れてしまっています。
我々職員が気付かなくてはならない姿勢。
手に入れなければならない考え方がここにはあるのです。
そのような現場を作る為にはまず、個人から、
そして、自分の行動が与える周りへの影響も知る必要があります。
(ここがかなり大事だったりします…!)
メルマガ「あなたも、ストレスなく長く働ける介護職になりませんか?」の方で、介護職が身に着けるべき考え方と姿勢を配信中です☆
読んでおくとかなり視野が広がり、見方が変わります!
ぜひ、今一度、自分の「仕事に対する意識」を振り返る機会になれば幸いです^^
介護職を続けていきたい皆様と未来を、心より応援しています☆
台風が刻々と近づいている中、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私の職場、はたまた介護に従事している方からよく聞く言葉あります。
それは、
「介護はお金じゃない!心だ!!」
という言葉です。
確かに介護は他の職種以上に「心のつながり」が必要です。
様々な疾患を抱えるご利用者の言動には「疾患に対する知識」が必要不可欠ですよね。
心と心のつながりが介護だ!というのもうなづけます。
しかし、
「介護はお金じゃない!」
というのはいかがなものでしょうか?
私はどうも腑に落ちないのです。
まるで、この低賃金の介護業界、残業だらけの介護業界を「無理矢理」正当化させようとするような乱暴な理論だな~と考えてしまいます。
だって、介護に従事しているものは「介護を仕事として選んだ」という事ですよね^^
ということは介護を通しての対価を得ながら、自分自身の生計を立てるという事ではありませんか?
私の職場では「介護のプロとは?」を常に模索しながらの日々を送っています。
それがご利用者の日々の観察からなる状態の変化の兆しや、疾患予防、薬や病気の知識などを深めることにイコールしています。
しかしどうでしょう?
ここにたどり着く前に「仕事のプロとは?」という概念がまるで浸透されていないのです。
この「仕事のプロ」という肝心な土台が形成されていないのです!
だからこそ、正当な意見も簡単に崩されてしまう環境が作られている…ということになっているのかもしれませんね^^;
「介護のプロ」の前に、職員が持つべき、「仕事のプロ」に対する概念の形成がなければ、
そこは無法地帯になりやすい状況で仕方がないのかもしれません。
第一、「お金と時間」に対する意識が低いのも重症だと思います。
「仕事として」介護をしているのであれば、その対価で頂いているという事実は消せません。
決まったお給料以上を見込めないのであれば、生計に対する覚悟と計算とそれでもどうにかできるシステムの構築も必然となります。
ここだけでも生計のルーティン化をしない限り、労力は相当を要するでしょう。
そして、どんなに努力をしても「金銭自体が発生しない行為」が業務内容であれば、その介護業務のどこに価値を付けるべきなのか?
そして、対価が見合わない状態での切り詰めた日々と、
コンプライアンスを無視した現場で行き着く職員の未来は?
残業だらけで疲れ切った体で、満足のいく生計を立てることが出来なければ、
職員の心は「健全な姿勢」を保つことが出来るのでしょうか?
介護が心だというのであれば、職員の心の状態も常に健全な状態を保つことも「業務内容」として必要なのではないでしょうか?
その部分を見て見ずして「介護は心だ!」というは
暴論という他にならないのです。
介護を仕事として頂いた対価を、自分の為(家族の為)に使用し、
そこで頂いた介護以外から成る日常のお金には変えられない
感性という「財産」をご利用者に仕事として還元する。
金銭が見込めない中、このサイクルを可能にするためには
職員の時間とプライベートで補うしか方法はないと思います。
「時間はお金に代えられない」
その時間を自分の為に使用する事。
それが心のゆとりを手に入れ、リフレッシュをし、
仕事だけをしていては関わる事のない景色を
得ることができることの価値を多くの介護職の方は忘れてしまっています。
我々職員が気付かなくてはならない姿勢。
手に入れなければならない考え方がここにはあるのです。
そのような現場を作る為にはまず、個人から、
そして、自分の行動が与える周りへの影響も知る必要があります。
(ここがかなり大事だったりします…!)
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読んでおくとかなり視野が広がり、見方が変わります!
ぜひ、今一度、自分の「仕事に対する意識」を振り返る機会になれば幸いです^^