自分がどうなりたいか、その究極の理想像はある。
ただ、そこまでのステップをきちきちと決めてゴールに向かうことに全くわくわくしない自分がいることに最近気づいた。
25歳でこれをして、30歳でこれをして、40歳でこれをして、50歳でこれをして、60歳でこれをして・・・。
もし、その理想通りになったとしても、それって全然わくわくしない。
まるで、一度クリアしたゲームにもう一度チャレンジするような、わくわく、ドキドキ感のなさ。
周りにも「おまえは計画性がまるでない」ってよく言われるけど、
僕にはやっぱり計画という言葉は性に合わないみたいだ。
自分自身5年後、いや3年後さえどうなっているのか見当もつかない。
周りの人にもおまえはいったい何をしでかすかわからないと思われている。
すげぇ、この状態がわくわくする。
無限に可能性は広がっているみたいで。
今の狭い狭い自分で考えられるレベルのやりたいこととか、イメージで可能性を決めつけるのはどうなんだろう。
22歳まで海外を考えていなかった僕が、たった一つの決断をしただけで、海外の道は開けることがわかった。
だったら、今からでも、歌手にでもなれれば、画家にでもなれるし、医者にでもなれるし、大統領にだってなれる。
そんな風に僕はこの決断、TOEICの学習をしながら肌で感じている。
今は知らないから、存在しないと同然と思っているもの中に、最高にわくわくでかっこいい生き方もあるのかもしれない。
ありたい最高の理想像は持っておく。
だけど、そこまでの道のりは最短距離で有る必要は全くないと思う。
そもそも、最短距離かどうかはやってみないとわからん。
まずは目の前のことに全力で取り組んで、その生きざまに挑戦していく。
僕はこれがかっこいいと心から思うね。
というわけで、明日から東京に新聞配達のアルバイトとして寮に住み込みます。
また、2015年3月から、どんな形であれ、海外で働いて飯を食うということも決断しました。
よくぞ、あの時留年を決断した俺。
これからも決断しまくって、がむしゃらにぶつかっていくぜ。