2月8日
突然の出来事から1ヶ月ちょっとが経ちました。
28日の深夜に2度目の心停止からまた蘇生されました。
多臓器不全と言われながら、また容体が安定したとのことで2度目の一般病棟へ。
2度目の一般病棟では約1ヶ月何も固形のものを食べていないし、どんどん痩せていきました。
水も溜まってしまって腕や手足が凄く浮腫んでいたので、マッサージして流してあげたり、メナードのお仕事で身についたホットタオルの使い方で、拭いてあげたら気持ち良さそうでした。
もうしばらくこのまま寝た状態が続くのかなぁ?と、家族もよくわからない状態で、約1ヶ月いつ電話が鳴るのかわからない状態で面会に仕事とかなり疲れきっていました。
17日にまた母と一緒に面会に行く予定を立てて、昨日はのんびり海月姫を見て、日中の仕事に疲れていたので10時頃眠くて横になったところスマホが鳴りました。
23時過ぎ、呼吸が浅くなっているとのことでタクシーで急ぎ駆けつけました。
母と兄は到着していましたが、病院から電話のあった5分後に息を引き取ったそうです。
まだ体が暖かかった。
死に目には会えませんでしたが、家族みんな沢山面会して希望を持ちつつも受け入れる準備をこの1ヶ月でしていました。
私が1番わんわん泣きそうだと思ったと母に言われましたが、わりと落ち着いて感謝の言葉を伝えて、泣くこともなく葬儀屋に電話をして、今日も葬儀のお話をしてきて小難しいこと沢山聞きました。
そして、父は仕事中に倒れたので、どこで倒れたのかみんな知りたくてお願いして連れて行っていただきました。
第1発見者となってしまったおばさまはとっても柔らかい気さくな感じの方で、その時の状況を説明してくれました。あれからどうしたかなと凄く気にしてくれていて、2日くらい落ち着いて眠ることが出来なかったそうです。なんだか申し訳ない。。。
でも、この方のおかげで1ヶ月の時間をもらえたので落ち着いたらきちんとご挨拶させていただこうと思います。
このブログでも心配して下さった方々ありがとうございました。
父は苦しそうな顔もしていなかったし、優しい方々に囲まれた環境で過ごした中でこの世を去りました。
アナログな父は、住み慣れた街がどんどん変わって行ったり、ネット社会など時代の流れについていける感じではなかったので、私たちを1ヶ月見て大丈夫だと思って自分で日を決めて去って行ったのだと思います。
今後もこの人生であと何度かこんな経験をしなくてはならないのかと思うと苦しいですが、いつかは必ずやってくることですね。
父は親としての務めで、今回のこと勉強させてくれたのかもしれません。
歳をとるとだんだん周りや身内で具合の悪い方が増えていきますね。
ものすごく疲れていますが、生活していかないとならないので、スケジュールもどんどん埋まっていきますが、父が時間をくれたおかげで気持ち的には自分の中で落ち着いてはいるかなと思います。
まさか自分の家でこんなことが起こるなんて。
って思いましたが、受け入れていかないとですね。
今月が踏ん張りどころです。
気にかけて下さった方々本当にありがとうございました。