ユーラシア大陸の最西端にて
お久しぶりです。
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最近は仕事が忙しく死にそうでしたが、無事GWに突入することができました☆
気付けば知らないうちに、変なコメントがいっぱいに・・・
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前回の続きです。
トマト祭りの旅。
ポルトガル2日目。
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パジャマ用の服を着て、リスボンの町にくりだしました。靴下はもちろん昨日のと同じ。(日本から3日目)
もちろんパ○ツも・・・涙
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とりあえず、服を調達すべく町をぶらぶら歩いていたら、ほとんどの店のシャッターが閉まっていました。
ヨーロッパはどこへ行っても日曜はお店がやっていません。
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こりゃしゃーない、ということで、予定を変更し、今日「ロカ岬」へ行くことにしました。
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ロカ岬とはユーラシア大陸最西端にある岬です。
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リスボンから少し離れたところにあるため、電車とバスを乗り継ぎ向いました。
駅で、ユーレイルパスを有効にしてもらい、まずはカスカイスという駅に向いました。
電車は大西洋を望む海岸沿いをひたすら走ります。車中、楽器を手にしたおっちゃんがやってきては
欧州らしい曲を奏で楽しませてくれました。
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カスカイスでいったん降り、次はシントラ行きのバスに乗り換えました。
海外でのバスの旅は電車と違い、乗り方や向う先等が不透明なため不安な面もありましたが、親切なおばちゃんの助けもあり、なんとか目的のロカ岬で途中下車。
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早速、大航海時代を感じるべく、岬の最西端へ。
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大学時代に沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでから、ずっと行きたいと思っていたユーラシア大陸の最西端へようやくたどり着くことができました。
天気に恵まれ快晴で、風もほとんどなく、最高でした。しかし、意外と人がいてがっかりでした。。。。
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近くの管理所みたいなところで、ユーラシア大陸最西端到達証明書を購入し、またシントラ行きのバスへ乗り込みました。
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シントラは王宮を中心として古くからの貴族やお金持ちの別荘が点在する町。
とりあえず、町中を歩きまくって散策。
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町の中心部のカフェではシントラで有名な「ケイジャータ」というお菓子にめぐり合いました。
ケイジャータはチーズを使ったお菓子で、ポルトガルの各地に様々な種類のケイジャータが存在するけれども、王族の別荘であるシントラのケイジャータはその中でも横綱級にうまいとのこと。
食べてみると、かなり甘すぎな感はありましたが疲れた体を癒してくれました。
ケイジャータで力を蓄えた後、リスボンに戻り、日曜日もやっているというリスボン最大級のショッピングセンター「ヴァスコダガマショッピングセンター」へ向いました。
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そこで、靴、パジャマ、下着、パーカー、シャンプー等、生活必需品を買いあさりました。
日本円にして3万5千円ほど購入しましたが、すべて保険会社が負担してくれたので助かりました。
(後で分かったことですが、行き先がリスボン以外の人でもでもフィン○ンド航空でヨーロッパに来た日本人で何人か荷物が届かないという人に出会いました。新婚旅行でバルセロナに着ていた夫婦も、旦那の荷物が行方不明になったということでした。かわいそう。。ちなみに、航空会社は全く荷物に関しては保証してくれませんでしたので必ず保険に入ることをお勧めします。)
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買い物後いったんユースへ戻りシャワーを浴びて再びリスボンの町へ。
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ロカ岬へ行く途中で出会った日本人の人とご飯を食べ、別れた後ハートロックカフェへ行き今回の旅の目的でもあるショットグラスをゲット!!
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そして、治安の悪いと言われている「バイロ・アルト」という地区へ向いました。
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薄暗い路地のあちこちに「Casa do Fado」(カーザ・ド・ファド)と書かれたお店が立ち並び、中からは美しい歌声が聞こえてきます。
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ファドとは日本でいう演歌みたいなものです。
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昔、リスボンの下町には船乗りや沖仲仕、売春婦や失業者、アフリカ人奴隷が多く住んでいて、こうした人たちが日々の辛い生活の中でひと時の娯楽としてファドを聴き、仲間と歌っていたのが始まりで、これが今のリスボンの観光スポット「ファドハウス」に変わっていったということです。
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なのでその歌声は哀愁を帯びていたように思えました。
店内はオレンジ色に輝くろうそくの光のみで、なかなか雰囲気も良かったです。
ファドの音色に聞き入っていると気付けば夜の1時半。。
.タクシーで帰ることも考えましたが、人通りの少なくなったバイロ・アルトの町を全力ダッシュ!!
.と思いきや、バイロ・アルトは丘の上にある地区なので、そこからはオレンジ色に輝くサン・ジョルジェ城とリスボンの夜景が広がりキレイだったので必死に写真も取りつつ帰りユースについたのは2時くらい。
ユースのみんなに気を使いながらシャワーを浴び、ぐっすりと眠りました。