昨日塾にて高校に入学した子たちと話している時に先生に私の好きな言葉書いてあげるな。
「外見は中身のいちばん外側」
と書かれました。
深い。この言葉好きっ!ってなってしまいました。意識しようと思います。
そうラグビー部です。
ラグビーと言うスポーツは皆さんご存知だと思います。
闘う球と書いて闘球
カラダとカラダをぶつけ合い闘う紳士のスポーツです。
そこに入部しましたが、
ホンネはやりたくなかった。
楽しい訳でもないし、ルールも難解で分かりづらいので最初はイヤでした。
でもすぐ逃げなかったんだな。と思ったら大違い。
すぐサボるようになります。
「風邪ひいたんで練習休みたいです…」
「風邪?走ったら治る!」
「保健室から帰るよう言われたんで帰ります。」
「そうか…なら帰れ。」
こんなやり取りよくしました。
で、一番逃げたかったのは合宿。
でも逃げられなかった。
簡単言えば、吐くほど食わされて、吐くほど走らされる合宿でした。
立命館大学の合宿にお邪魔して鬼軍曹👹M野コーチのフィットネストレーニングとかもありました。
周りの社会人ラグビーチーム(日野自動車)や大学生も引くほどの練習量でした。
極め付けは、札幌へ帰る直前の全力疾走ランパス50往復でした。
50往復×100m=10000m=10km
全力疾走でランパス
あれは死ぬかと思いました。て言うか涙が出るわ半分意識飛んでた記憶があります。
てかランパスの列に追いつかずただひたすら走ってた記憶があります。
そんな快くんも少し動けるようになり、スクラムでは一回り大きい選手も押し返せるようになりました。
チームの中ではどうだったかと言えば、持ち前の気配りと生活能力でまだ先輩に可愛がられていたと思います。
これにもエピソードがあります。
同期には下手くそが二人いてそれは、私ともう一人Aくんでした。
その二人は下っ端で洗濯物を先輩から任されることが多かったのです。
そして、私達のいるのはフォワードですのでこんな感じな人の集まり↓
毎日のお洗濯はその先輩たちのだけでゴミ袋3袋分くらい。
私はお洗濯のプロと言われてました。
それは…
ちゃんと柔軟剤や漂白剤を用意して行ってたからです。なので次の日のスクラムはとってもフローラルなのです。それにメッチャ喜んでくれていました。
進んで洗濯を買って出たのにも理由があります。
それは、一人になれるからと言う理由がありました。
ある日富良野での試合の際、大雨の中毎度お馴染みの洗濯にコインランドリーまで出掛けるとAくんが先輩のを含め入れていました。
私も請け負った先輩のものを洗濯機に入れひとりの時間を過ごしていました。
その後Aくんは先輩の洗濯物を取りに来ず遅くなるので私が代わりに大雨の中ゴミ袋6つ持ち帰ってきました。それをみた先輩がAくんをゴニョゴニョ。
それからと言うものの私は庇われAくんは責められるそんな事もチラホラありました。
あと、私マッサージが得意だったので先輩達には好かれるポイントが多かったということですね。
そして冬になり、寒い中練習がスタートしコンタクト練習の際…
またAくんです。
タックルを受けた際彼ごと宙に浮き左足に二人分の全体重が…
ボキッ。
あっいってもうたがな。
チーン_φ( ̄ー ̄ )
モチロン骨折でした。
そして、一冬を車椅子と松葉杖で過ごすのですが、それによりスポーツをすることに対し恐怖を感じ出して結局辞めてしまったのです。
体育準備室には近づくことがずっと出来ませんでしたね。
これで一年生の振り返りが終わりました。
因みに良くあったのは大会で授業に遅刻するとき、私は遅刻して教室に入ることがどうしてもダメな人で更衣室でサボっていました。あとでしばかれるのですが。
そんな人が高校生から大学生にかけてここまで変われたきっかけを探していきたいと思います。

