お通夜は月曜の18:30からでした。




なので復帰初日から1時間早く上がらせてもらいました。




仕事中、私は明るかったし、もしかしたらおばあちゃんが死んだなんて信じてもらえてなかったかもしれない。




でも、そうやって明るくしてないと、涙腺が決壊しそうだったんです。
















お通夜会場に着いたら、もう姉一家はすでに到着してました。




孫の相手をして気が紛れてるのかもしれないけど




母親の目はすごく腫れていました。










お通夜が始まりました。




遺影のおばあちゃんの写真を見たら涙が溢れてきて大変でした。




お寺さんのおつとめが終わり、みんながおばあちゃんの顔を見に行くと言います。




私は、なかなか足が前に出ませんでした。




でも、旦那サマに促され棺おけの中にいるおばあちゃんを見ました。




もう・・・無理でした。




涙が出てるのか出てないのか分からないくらい泣いてたと思います。




おばあちゃん、寝てるみたい。




寝てるんちゃうの?




そう思ったけど、違った。




寝てるみたいにきれいな死に顔でした。


















お葬式は、火曜日の12:00からでした。




お寺さんのおつとめが終わり、棺おけにお花を入れる時、




泣き崩れる母親を見て、胸が苦しくて苦しくて・・・。




母親が泣きながら私に、




「おばあちゃんアンタのことほんまかわいがってたから、アンタいっぱいお花入れてあげて。」




って言いました。




おばあちゃんの顔の周りにいっぱいお花入れてあげました。




書いてきたお手紙も一緒に入れた。




「おばあちゃん、ありがとう。」




っておばあちゃんの顔触ったら、めっちゃ冷たかった。




やっぱり死んでるんや・・・。




そう思った。














お骨上げの時、火葬場の人が言いました。




この年でこんなに骨が残ってるなんて珍しい。




それに、こんなに真っ白なのもすごいことです。




確かに、粉々になることなくちゃんとしっかり骨の形で残ってました。




色も真っ白。




病気があると、黒くなったり黄色くなったりするんだそうです。




ここでも、「おばあちゃん大好き」って言いながら骨壷に入れていきました。
















おばあちゃん、大正4年生まれ、享年95歳。




大大大往生です。




亡くなる直前まで自分でトイレに行き、一人でご飯を食べ、ボケることはなかった。




おばあちゃんはまだ元気な頃から




「他人に迷惑をかけて死んでいきたくない。




だから、ボケてしまったらあかん。」




って言って、積極的にデイサービスに行ったり新聞読んだりしてました。




その言葉通り、おばあちゃんは誰にも迷惑かけることなく、みんなに愛されながら亡くなりました。














おつとめして下さったお寺さんがこんなお話をしてくれました。






おばあちゃんが生きてきた時代は私達が生きてる今よりもっと過酷な時代で、きっと数え切れないくらいのご苦労をされてきたことと思います。




仏教の世界で、私達が生きてるこの世界のことを、「シャバ」と言います。




漢字で書くと、「忍土」 忍ぶ土と書きます。




お釈迦様が、私達人間に、たくさん苦労してきなさい。そうすることで見えてくるものがある。




そしてその苦労の中で取った行動で、死後に行く世界が決まる。




そう言って私達人間を送り出したんだと・・・。






戦争の真っ只中、看護婦として人々のため働いたおばあちゃん。




いつも、自分より他人。




みんなから「かわいいおばあちゃん」と言われ、死ぬまで愛され続けたおばあちゃん。




おばあちゃんの行き先は、天国に決まってます。














おばあちゃんはずっとお空の上から私達を見守ってくれるはずです。




私は、おばあちゃんに私の子供を見せてあげれませんでした。




おばあちゃんにとって私は、いつまでも子供のままのちっちゃい私なんで、




「子供はまだ?」




なんて聞いてきませんでしたが、一度だけ「○○はまだ子供できへんねんなぁ。」と言われたことがあります。




その時はなんか焦ってしまって「まだできへんねーん」って軽く笑って言いましたが、




その時から「おばあちゃんが死ぬまでにどうか・・・。」




って思ってる自分がいました。




でも、叶わなかった。




手術終わって、希望が見え始めた矢先だったのに・・・。




もしかしたら、おばあちゃんが私が悩んでるのを心配して、お空に呼びに行ってくれたのかも・・・。




とか、勝手に思ったりもしてます。




だからお手紙に、




「おばあちゃん、お空の上で○○の子供に会ったら、もうママのとこ降りてっていいんやでって声掛けてあげてね。」




って書きました。




おばあちゃんなら絶対私の赤ちゃん見つけてくれると思うから・・・。














今まで、親族で亡くなったのは二人の祖父なんですが、どちらももう何十年も会ってない状態で亡くなったので、悲しかったけど正直ここまでじゃなかった。




おばあちゃんは身近すぎた。




思い出がありすぎる。




もっと頻繁に会いに行けばよかった。




今はまだ、おばあちゃんとの思い出を思い出すのがこわいです。














私も自分がおばあちゃんになった時、




おばあちゃんみたいなおばあちゃんになってたいな。




私には、とうてい無理かな???










おばあちゃん、ゆっくり休んでね。




大好き。