まいすとれーじ -8ページ目

まいすとれーじ

資料置き場

最高の癒し。

 

 

こういう音楽を聴いている時が、最も心が浄化されますね。

 

 

ところで今日は最近流行のAIの話なんですが、私も時々AIを使うことがあるんですよね。

 

主にChatGPTやGeminiなどを使ってるんですが、そうすると自分で考える力とか深くものを観察する力とか、じっくりと感じて味わってそれを言語化する力とか、色々なものが無くなっていくのがわかるんです。

 

 

スマホが一気に普及して、人類がどんどん馬鹿になっているように。


で、AIに依存する一番の問題は何かというと、人間にはあってAIには無いものって何だと思います?

 

 

それが身体感覚なんです。

 

AIは身体感覚というのを持っていないんです。

 


だから日々AIを使い続けていると、人間である私たちも知らぬ間にこの身体感覚をどんどん失って麻痺していくという。

 

だから、なるべくならAIに依存しない方がいいよと。

 

 

スマホが普及して、自分でものを考えなくなったでしょ?

 

でAIが普及したら、さらにそれが加速したでしょ?

 

 

これ結構大きな問題だと私は思っています。

 

ちなみに私の仕事は一切AIとは競合しないので、どれだけAIが進化しても全く困りません。

 

 

だってAIに思い出は作れないし、内観も出来ないから。

 

私にしか出来ないことをやっているというのが強いんです。

 

 

私は基本的に一日の半分以上はスマホの電源を切っているし、AIも本当に必要な時にしか使いません。

 

これからのAI時代において、今のうちに慣れておく必要があるから触れているだけで、元々興味もありませんしね。

 

 

だって時間がかかってもいいから、自分で検索したり、本屋に行って調べたりする方が楽しいから。

 

この身体感覚が大事なんですよ。

 

 

手っ取り早く必要なデータを提示されたところで、心は全く反応しない。

 

ただ、便利だなと思うだけ。

 

 

そうやって脳が騙され続けることに私は危機感を持っています。

 

AIを使ってもいいけど、脳は乗っ取られないようにね。

 

これ凄く大事なことです。

私は母親に対して、とても根深い恨みを持っています。

 

それは何か。

 

納得していないことを一方的に押し付けられた恨み

 

です。

 

 

私の母親には理想の子育て像があり、自分の子供を理想通りの立派な子供に育てるために、私に数々の理不尽なタスクを課してきたのですが、私はそれらに一切納得していなかったのです。

 

例えば、習い事なども母親が勝手に決めてきた習い事をやらなければならず、それに対して「やりたくない」と言うと「じゃあ、あなたはもうウチの子じゃないから出ていきなさい」と言って、家から閉め出されるのです。

 

 

家に置いてもらうためには、「わかりました。やります。」と言って、母親に服従するしかない。

 

これがどれだけ屈辱的だったか。

 

 

私は別の習い事をしたいと言っても一切聞いてもらえず、むしろ「あなたの意見など、どうでもいい。お母さんの言った通りに、ただやりなさい。」と言って、私の言うことやること全てを否定されるので、本当に毎日気が狂いそうだったのです。

 

そして、そんな気が狂いそうな感覚を感じたくないから、私は自分の体から全ての感覚を切り離し、感情を一切感じないようにして、ただただ従順な羊として生きていました。

 

 

そんな子供時代の本当に根深い恨みです。

 

本当は自分で決めたかった

私の意見も聞いて欲しかった

一方的にタスクを押し付けないで欲しかった

 

 

そして気持ちとして一番強かったのが、

 

母親から押し付けられた理想の教育像を一切納得していなかったのに、「私はそんなの納得していない!」と反論することすら出来ず、ただただ我慢をして飲み込むしかなかった自分の不甲斐なさなんです。

 

 

正直、施設で暮らすことになってもいいから、この精神的な虐待から逃れたかった。

 

でも私は家に置いてもらうために、親から養ってもらうという居場所を確保するために、服従という道を選んでしまった。

 

 

この悔しさは未だに乗り越えられていません。

 

本当は「嫌だ!そんなの納得していない!やりたくない!」と叫びたかった。

 

 

人間は、自分が納得していないタスクを一方的に押し付けられると、それが恨みに変わります。

 

 

皆さんも想像してみてください。

 

水球なんて全く好きじゃないのに、「あなたは今日から水球をやりなさい」と言われて、ある日突然プールに連れていかれる恐怖を。

 

 

そこで「やりたくない」と拒否したら、人格丸ごと否定されて、親から「言うこと聞かないと捨てるぞ!」と脅される恐怖を。

 

私と同じような家庭環境で育った人は、きっと親に対して私と似たような恨みを持っているんじゃないかなと思います。

 

 

私はまだこの恨みを乗り越えられていませんが、少しずつ向き合って消化しています。

 

怒りや悲しみを消化するのも大変ですが、恨みが一番向き合うのが大変ですね(笑)

 

 

今回の話は、親じゃなくても例えば社会人になってから、会社の社長や上司に理不尽な仕事を一方的に押し付けられて、嫌と言えずに引き受けてしまったとかもあると思うので、心当たりのある方はその時に感じた自分の感情と正直に対話してみてください。

 

 

そして最後に、この話には強烈なオチがあります。

 

 

それは、毎日母親からの理不尽な要求に耐え、母親の思う立派な人間になるべく服従し続けたのにも関わらず、肝心の私は社会不適合者としてまともに就職もせず、ネットビジネスや投資などをやりながら不安定な生活をし、

 

結婚もせず独身でどこのコミュニティにも所属出来ず、エキセントリックで奇行の多い、母親が目指していた理想的な人間とは全くかけ離れた宇宙人に育ってしまったことです。

 

 

そして最終的に母親から、

 

「私の子育ては失敗だった」

 

と言われて、母親を絶望させたことです(笑)

 

 

これを言われた時には「失敗って物かよ!」と思いましたよ。

 

失敗って言葉は作品には使うけど、人には使わないでしょ!と。

 

 

服従に耐えた18年間の記憶が失敗という言葉で片付けられる現実。

 

これを恨みと言わずに何と言うのでしょうか。

 

 

ちなみに、「あなたはもうウチの子じゃないから出ていきなさい」という言葉も、「私の子育ては失敗だった」という言葉も、両方とも子供に言ってはいけないNGワードの上位にランクインしてますので、子育て中の方は絶対に自分の子供には言わないように気を付けてください。

 

一生の心の傷になりますので。

内観の原点は、まず自分が歪んでいてズレているということを自覚することからです。

 

そして自分にとって都合の悪い情報に触れた時、逃げているようでは自分とは向き合えません。

 

自分の現状を把握するために、まずは逃げないこと。

 

現実を知ること。

 

自覚がとにかく一番大事です。

 

私が最初にやったのは、自分がどれだけ問題のある人間だったかを把握することからでした。

 

歪んでいる自分を見たくない。

 

自分の歪みに気付きたくない。

 

そんなことを思っている間はまだ余裕があります。

 

いつまでも問題を先送りにして、ある日突然自分の人生に強制終了がかかった方が、後がなくなって追い込まれるので必死で内観をやると思います。

 

ただ私の経験上、そこまで落ちる前に自分を救った方がいいです。

 

一度底まで落ちると、底から這い上がるエネルギーと、内観で自分と向き合うエネルギー。

 

両方必要でしたから。

 

出来れば、エネルギーは温存出来た方がいい。

 

覚悟が決めれないとしたら、それは変わりたくないという事です。

 

今のままの自分で居続けることにどんなメリットがあるんですか?

自分と真剣に向き合います。

私も内観します。

 

と言って一ヶ月以内に辞める人98%。

 

欲しいのは何か。

 

手っ取り早く今の状況から抜け出せる答えとお金だけ。

 

都合良くない?

 

長い間、自分を放置して切羽詰まるまで逃げ続けたくせに、この期に及んでまだ自分を粗末にするの?

 

98%の人は本気で自分と向き合う気なんてありません。

 

自分がどうしたら今の状況から抜け出してラクになれるか、その答えを他人から教えて欲しいだけです。

 

そんな人間には潜在意識も協力しませんよ。

 

だから、どれだけ問いかけても答えなんて出てこない。

 

だって覚悟を決めてないし、本気じゃないんだもの。

数年前くらいから急に流行り出して、色々な所で目にするようになった生きがい(ikigai)の図。

 

Ikigaiの概念図

 

こちらのWikipediaに載っているこの図が、カラー版で色々なところでシェアされているのですが、私はずっとこの図に違和感を感じていて、この図の通りにしたって、自分の生きがいなんて一生見つからないよ!と、ひそかに心の中でずっとツッコミを入れていたのです。

 

 

すでに、何らかの生きがいや生きる目的を持っている人ならわかると思いますが、この図って逆なんですよね。

 

詳しくは、「Ikigai(生きがい)の図」とかで検索すると、この図の使い方の説明が見れるのですが、要は4つの円の重なったところにある共通項を探して生きがいを見つけていきましょうみたいな話なんですが、この考え方自体が「手段の目的化」にハマってしまってるんですよね。

 

 

順番としては、まず生きがいを見つけるのが先で、好きなこと、得意なこと、世の中が求めるもの、お金になることみたいな条件は結果的に後からついてくるっていう順番じゃないとおかしいんです。

 

だから、この図の通りに生きがいを見つけようとしたら、手段の目的化にハマっちゃうよと。

 

 

これ気付いてる人は気付いてるんですが、誰も指摘しないんですよね。

 

私も最初にこの生きがいの図を見た時から違和感が凄くて、これ変だなとずっと思っていたし、多分この図を紹介している人は、その人自身が生きがいを見つけてはいないんだろうなと思うんですが、さすがにこの図で生きがいを見つけるのは無理がありすぎると思っていて。

 

 

簡単に言うと、

 

好きなこと

得意なこと

世の中が求めるもの

お金になること

 

を探していった結果、この4つの円の重なったところに生きがいになるものが見つかるんじゃなくて、最初に円の中心の自分にとっての生きがいを見つける(または決める)からこそ、その外側にある4つの円の条件も後から満たされていくという順番なんです。

 

 

例えば私の場合だったら、私は内観を極めるとか、親の呪縛を解く技術を深めることが自分の生きがいの一つになっていますが、これを生きがいの一つとして決めた時に、この生きがいが好きなことかどうか、お金になるかどうか、世の中が求めているかどうかなんてことは一切考えていません。

 

 

内観を徹底的にやると決めて実際にやり始めたら、結果的にそれが得意なことになったり、世の中が求めているものになったり、お金になったりという順番であって、最初は4つの円の条件なんてどうでもいいんです。

 

 

何が目的で何が手段なのか、ここがわかってないから、こんなおかしな図が出来るんです。

 

この図を見て変だなと一瞬で違和感を感じる人は、多分もうすでに自分の本当にやりたい事が見つかっているはずです。

 

 

多くの人が当たり前に良いものとしてシェアしているものの中にも間違っているものはたくさんあるので、安易に信じないで、自分の感覚を優先していきながら、なるべくズレていない価値観を自分の中に取り入れていってください。

 

 

ちなみにもっと言うと、自分の本当の生きる目的、生きがいというのは誰にも理解されず共感もされず、仮に世界中が敵になったとしても、それでもやりたいと思えるようなものです。

 

 

お金にならないなら、やる意味がないからやめるというのなら、それは単なるエゴです。

 

この図に書かれている、世の中が求めるものやお金になるという条件も本来ならいらないものです。

 

 

誰からも認められず、評価もされず、1円にもならなかったとしても、それでもたった1人でもやり続けると言えるもの。

自分一人でも、最後までやり抜く覚悟で淡々と突き進んでいけるものこそが、本当の生きる目的であり、生きがいです。

 

 

それに気付くために、ひたすら自分と向き合って内観をするんです。

 

その答えは自分の中だけにあり、生きがいの図を使ったところで、生きがいなんて見つかりません。

 

 

だってこの図自体がおかしいですから(笑)

 

でもこの図がたくさんシェアされているということは、それだけ自分が何のために生きているかわからない人が多いということ。

 

 

ただ今回言いたかったのは、手段と目的の区別がつかなくなると、人生そのものが丸ごとおかしな方向に行ってしまうので、なるべくこういうIkigaiの図のような手段に頼らないで、自分の人生の棚卸をすることを優先して欲しいと思っています。