教えないというコントロール | まいすとれーじ

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資料置き場

先日、知人の行動を見ていて、これも事例として面白いなと思ったので書いてみます。

この間、知人が「凄くいい商品を見つけた。でもその商品がみんなにとって必ずしも良い物とは限らないから、具体的な商品名は教えられない。」という発言をしていたんですね。


「私は使ってみて良いと思ったけど、みんなが良いと思うかはわからないし、誰にでもオススメ出来るものでもないから、あえて商品名は言わないでおくわ。」と。

これ何やってるかわかります?


実はこれってコントロールなんです。

普通に考えたら、自分が使ってみて良いと思った商品なら、「これ凄くオススメだよ」って教えてあげたらいいじゃないですか。


なので、教えないという時点でまず認知が歪んではいるんだけれど、それよりも問題なのは教えないという形を使って相手をコントロールしていることなんです。

どういう事かというと、これって実は相手の決める権利を奪っている行為なんです。


実際にその商品を使ってみて良いと感じるか悪いと感じるかは、相手が決めることなんです。

本来であれば、伝える側はそこに一切余計なジャッジを挟まずに、「これ良かったよ。」とただ素直に薦めるだけでいいんです。


で、それをオススメされた側が実際にその商品に触れてみて、自分に合うか合わないかを判断する。

それが自然な形なんです。


でも上記の知人は、相手に薦める前から「その商品がみんなにとって必ずしも良い物とは限らないから、具体的な商品名は教えられない。」と言って、相手が判断する権利、決める権利を奪っている。

まさにこれがコントロールなんです。


チラ見せとかもそうなんですが、最後まで言わずに相手を中途半端な状態に置いたまま、決定権を自分が持ち続けるというのが、まさに典型的なコントロールの手口なんです。

例えば同じような例で、自分が凄く美味しい飲食店を見つけたとして、「あなたの口に合うかどうかはわからないから店の名前は教えない。」というのも同じパターンなんです。


いるんですよ、こういう人。


常に立場的に自分が上に立っていたいの。


その料理が口に合うかどうかは相手が決めることなので、その判断は相手に任せなきゃいけないんです。

でもそれが出来ない。


相手の判断する権利まで、自分が奪いとってしまう。

これが本当に悪質なんです。


もちろんやっている本人は気付いていません。

そして実は、私も昔このパターンをよくやっていたんです。


私がやっていたのはメールや手紙などを出す時に最後に添えていた一文。

「きっとお忙しいと思うので、お返事は結構です。」


これです(笑)

私は良かれと思って完全に気遣いのつもりでやっていたんですが、これもコントロールだったんですよね。


忙しいかどうか、返事を出すかどうかは相手が決めることなんです。

なのに私はその相手が決める権利を奪っていた。


受け取った側からすれば、「お返事は結構です」って何でお前が決めるねん!って話じゃないですか。

でもそうやって自分が下に潜って、下から相手を巧妙にコントロールしていたんです。


これに気付いた時、血の気が引きましたよ。

あー、私やっちゃってた・・・って(笑)


認知の歪みが取れると、こういう変なコミュニケーションは一切取らなくなるので、私も今はストレートに聞いたり教えたり、判断は相手に任せたりということが、ちゃんと出来るようになりました。

 

そもそもこういう事をやってしまう人は、ほぼ例外なく自分自身が親から同じことをやられて育っているので、そこの判断基準が歪んでいるんですよね。


自分が選ぶ権利、決める権利、判断する権利を親から与えられなかったからこその歪みであり、コントロールなので。

今回の事例も意外とハマっている人がいるかもしれないので、もし心当たりのある方は、何で相手の決定権を自分が奪ってしまうのか、支配してしまうのかを徹底的に掘り下げてみてください。


対等な人間関係を築きたいのであれば、本当に直した方がいい歪みですから。