2005年。
私はある一つのブログに出会った。
アイリッシュセッションブログ。
ある一人の男性が東京からアイルランドへ旅立ち、その時の旅の記録を綴った、ただの旅行記だ。
彼は当時、教員を辞めて職を失っており、アフィリエイトで生計を立てようと試みるも、ことごとくうまくいかず、借金を抱えて生活していた。
精神的に追い込まれ、いよいよ相模湖に身を沈めようかと限界に来ていた時、
「そうだ。俺、アイルランド行きたかったんだ。」
なぜか彼はアイルランドに飛んだ。
そして、その旅行記をシェアしてくれた。
私はこのブログを読んだ時、一日中泣いていた。
(以下ブログから一部引用)
自分のままじゃ、愛されないと思っていた。
だから、自分じゃない自分を演じた。
たくさん勉強して、代々木ゼミナールの全国模擬試験で1番になったり、学年委員になったり、文化祭の監督指揮をしたり、おどけたり、笑わせたり。
必要以上に一生懸命で、必要以上に頑張っていて。
すればするほど、苦しくて、やればやるほど、辛かった。
期待に応えなくちゃ。
すごい人にならなきゃ。
尊敬されなきゃ。
偉くならなきゃ。
頑張った結果、色んな力を手に入れた。
しかし、それは僕が欲しかったものと少し違った。
悲しい力。
それは「悲しい力」だね。
手に入れれば入れるほど、悲しいのだろうね。
小さな声で、空が話し掛けてきた。
悲しかったんだね。
寂しかったんだね。
ずっと、探していたんだね。
自分の居場所を探していたんだね。
居たいところに居ていいよ。
期待に応えなくていいよ。
したいことをしていいよ。
傷つけられたら怒っていいよ。
自分を守っていいよ。
心を閉ざしたい時は、閉ざしていいよ。
言いたくないことは、言わなくていいよ。
一人でいたいときは、一人でいていいよ。
いたくないところには、いなくていいよ。
行きたいところにいっていいよ。
自分で選んでいいよ。
必要以上に人に誠実でなくていいよ。
もっと適当でいい加減でもいいかもよ。
無愛想でもいいんだよ。
そうか、僕は演じていたのか。
気にいられるために。
ここにいないでと言われないために。
そこまでして、居場所が欲しかったのか。
ギターが一緒にいてくれた。
今夜はずっとパブで一緒にギターを弾いた。
贈り物のような夜。
ここにいていいんだ。
僕はここにいていい。
生きていい。
(引用ここまで)
きっと、私が持っていたのも「悲しい力」だ。
人間は本心を誤魔化して生きていけるほど、強くはない。
このブログを読んだ2005年。
本当に涙が枯れるまで泣いた。