肉じゃがの思い出 | まいすとれーじ

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私が今、参加している料理のコミュニティで、最近肉じゃがを作ったのですが、料理というのは子供の頃の記憶と密接にリンクしていることが多くて、結構色々なことを思い出すのですよね。

 

今回、美味しい肉じゃがのレシピを教えてもらって、それを一人で作っていたのですが、それが私が実家で食べていた肉じゃがとは全然違ったのです。

 

 

私が子供時代に食べていた肉じゃがというのは、本当にお肉とじゃがいもしか入っていない、とても質素な肉じゃがだったんです。

 

 

中学生の頃に、「何でうちの肉じゃがには、お肉とじゃがいもしか入っていないの?もっと玉ねぎとか人参とか、他の食材も入れたらいいと思う。」と母親に言ったら、

 

「(料理名が)肉じゃがなんだから、お肉とじゃがいもだけに決まってるでしょ!他の食材を入れたら、それはもう肉じゃがではないでしょ!」と猛烈に怒られたことがあるのです。

 

 

確かに、母親が言ってることは正論ですよ。

 

肉じゃが

 

なんだから、お肉とじゃがいもだけで成立する料理名であることは明らかです。

 

でも、人生ってそうじゃないでしょ笑い泣き

 

 

臨機応変って言うのか知らないけど、言葉をそのまま受け取るのではなく、もっと遊びがあってもいいと思うんですよね。

 

私の母親というのは、とにかく頑固で一切融通が利かない人でして、交渉の余地が全くない人なのです。

 

 

肉じゃがはお肉とじゃがいもだけ、と決めたらもう一生それ。

 

なので、私が実家にいた18年間で食べていた肉じゃがというのは、お鍋でお肉とじゃがいもを調味料で煮ただけの、なんとも味気ないものだったのです。

 

 

でも、母親に意見したり逆らったり、下手に交渉などすればすぐに命の危機に晒されるので(笑)、ただ従うしかないという状況の中で、

 

「なんかおかしいなぁ。理不尽だよなぁ。どうしてうちのお母さんは、こんなに頭が固いんだろう。」と常々思っていたのです。

 

 

逆に言えば、すごく真面目な人なんですよ。

 

誰よりも一生懸命働くし、弱音を吐いてるところなんて一度も見たことがないし、他人よりもまず自分に厳しい人。

 

 

そして自分が決めたことを信念として、生涯貫ける人。

 

 

でも、その生き方ずっと続けるのは無理だから。

 

楽しくないから。

 

 

さり気なく書いてますけどね、「肉じゃが=肉とじゃがいもしか許されない」という価値観を押し付けられて育った子供の人格がどれだけ歪むか、たったこれだけでも気付く人は気付くと思います(笑)

 

 

結局、料理を通して思い出す記憶に幸せ要素は一切なく、自身の歪みの源泉を一つずつ掘り当てながら修正し、自分にとって不必要な価値観や思い込みを一つずつ外していく作業は、生きている限りこれからもずっと続いていくのだろうなと思います。