先日、空中分解してバラバラになったトレード村(FXトレーダーのコミュニティ)ですが、その後リーダーの意向で、最後に解散ライブが開催されました(笑)
解散ライブなんて「昭和のアイドルか」と、思わずツッコミたくなりましたが、ちゃんと理由を説明して、全員に報告をして、けじめをつけてから去っていくのは潔いなと思いました。
(個人的には中学生の時に見たチェッカーズの解散ライブを思い出しました。笑)
自分たちの運営の欠点、なぜこういう結果になったのかも、論点はだいぶズレてはいたけれど、
ちゃんと話して、みんなに謝罪をしてから、去って行ったリーダーは、人としてとてもかっこいいなと思いました。
普通、この謝罪すらまともに出来ない人が多いですから。
そして今後は、いくつかのコミュニティが分断した状態で、それぞれが個々に活動し、メンバーさんは自分の好きなチームに所属することになるようです。
このトレーダー村は、もの凄くメンバーさんとの距離が近いコミュニティで、3日もログインしていないと「おーい!生きてるかー!ちょっと話すぞ。」とか言って、
リーダーが頻繁に声を掛けてくるコミュニティだったので、一人で孤独にトレードをして負けてしまうというメンバーさんが、ほとんどいないコミュニティでした。
とても賑やかでイベントも多く、楽しいコミュニティでしたが、本来の目的とズレてしまったのでは、所属する意味がありません。
私はこの村から完全に離れ、また別のコミュニティを探すことになりました。
さて、ここで気付いたことです。
解散ライブの後、私は何とも言いようのない寂しさに包まれていました。
昔からあったこの感覚はなに?
ずっと一人で自問自答していました。
思えば私は子供の頃から、別れとか死別とか離婚とか卒業式とか、人と人が離れていく瞬間に、言葉に出来ない寂しさを強く感じる心の癖がありました。
みんながどこか遠くへ行ってしまって、二度と会えなくなる感覚。
だから、私は「さようなら」という言葉が、子供の頃からずっと嫌いでした。
「さようなら」って言わないで、「バイバイ」って言って。
大した違いでもないのに、わざわざ相手に言い直させたこともあります。
その理由が今日わかったのです。
解散なんて嫌だな、何でみんな最終的にはバラバラになるんだろう、どうして人は最後には一人になるんだろう。
子供の頃からずっと考えていたことです。
その寂しさの本当の原因がわかって、わざわざ解散ライブを開いてくれたリーダーに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
思い込みというのは、本当にどこで気付くかわかりません。
むしろ何時間も内観をして、脳に問いかけ続けて気付くというよりも、ふとした瞬間に小さい違和感と共に気付くことの方が圧倒的に多いです。
自分の小さな感情の変化を見逃さない。
これが思い込みに気付くうえで、最も大切なポイントです。