少し遅くなったが、感想を書いてみたいと思う。

今頃はもうヤマトについて話題に取り上げる人も少ないような気がするが、自分の思考回路を整理する意味もあわせて書いてみたい。

 まず、全体の印象だが、キャラの作画が『2199』に比べて下手になったなあと。特に古代と森雪と山本玲の絵がカットごとにバラツキがあった印象が強かった。森雪はヒロインなんだからもっと可愛く描いてあげてほしかったな。

 次に、加藤機撃墜後、航空隊+ヤマトが玉座への門に繋がっている「チクワ」内部で敵機が接近してきた際、キーマンが「ここは任せろ!」といって制圧に掛かったが、その時ツヴァルケから小型の無人メランカが数機射出されたがあれは何だったんだろうか?自分の脳内整理では、最終決戦に出発する前に、バレル大使と最後に会っていたが、そのときに補給を受けたのだろうと考えている。小型メランカはブラックバードのような無人仕様で地球orガミラスの技術供与なのだろう。そういえば、キーマン機はテレザートで水没したはずなのだが、これもバレル大使からの補給orテレザート星で回収に成功していた。テレザート星の海は淡水なので水没しても機器へのダメージは少なかったと考えるようにしている。

 次に写真の半券を見ていただきたい。1回目(3/2)の入場料は2000円で2回目(3/24)が1400円となっている。1回目には舞台挨拶があったので、その分の料金が上乗せされているということか。舞台挨拶ってPRのために行うものと思っていたので有料だったことに少々の驚き。

 第26話相当分のウダウダ感も巷では悪評になっているので触れておきたい。まず、パンフレットに構成の福井氏が「依頼されたときのオーダーが、主要人物を殺すなというものだった。」という主旨の説明文があった。これは「さらば~宣伝会議」でも同様のことが肉声でコメントされている。

 Pirates of Caribeanに例えると3作目の『World End』で“デイビージョーンズ・ロッカー”に捕らえられているジャック・スパロウをウィルとエリザベスとバルボッサがブラック・パール号に乗って迎えに行く話とそっくりの描写が最後にあった。オカルトや魔界的な描写ではなく、真田イズムで科学的にアプローチしようとしたのは理解できたが、副長の言葉を借りると「十分に発達した科学は魔法と見分けがつかない」と表現したように、セリフを書き上げた脚本家もどれだけ理解して文章化したのか疑わしさを感じてしまった。

 また、1回目の観賞後にパンフレットの記事を読んで、最初は「なんだ言い訳かよ」と思ってしまった。26話が批判の対象になることを予見していたのなら違う展開にしろよ、と思った。しかし2回目の観賞では、福井氏が自信を持って描いたのだという認識に至った。理由は不明、テレサの言葉を借りると「考えるのではなく、感じたまま」にそう思った。また、ヤマトという作品が今後も続く下地が残ったことは嬉しいし、10年後くらいには福井氏の意図も理解されるように思う。

 寝ぼけ眼でここまで駄文を書いたが、最後にキーマンの「辞世の句」で締めたい。

「きっと、手に入れた分だけ、幸せだった分だけ人は悲しいんだ。その悲しさをオレは愛する」

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