「頑張れば報われる」
 「努力の成果」

 優等生は、学校の試験が得意だ。

 なぜなら、試験勉強が苦にならない。
 むしろ、試験勉強が好きなのだ。

 勉強をしていれば、
まず、その過程で大人から
「頑張り屋だね」「努力家だね」「偉いね」と褒められる。
その上、
正しい方法「正解」が分かっているため、結果が伴い、
更に褒められる。

 優越感と成功体験を得る。

 受験勉強で挫折することもある。
 ちなみに、私はその口だ。
第一志望の大学に落ちた。
 でも、それなりの下積みがあるから、
名の知れた大学には受かるし、
受かった大学の中で優等生キャラを保つのは容易い。
大学生に与えられている時間、金、体力……
それらの多くを勉学に割り振る大学生は限られているからだ。

 就活で挫折することもある。
 でも、就活に関しても「正解」が流通しているし、
優等生は、筆記試験や面接のネタ作りに苦労しない。

 問題は、社会に出てからなのだ。
 
 多種多様な業界や職種がある社会では、
「正解」はなかなか見つからない。
 ビジネス本に書かれているテクニックを実践しても、
勉強のようにすぐには成果につながらない。
 仕事をしても、
勉強のように周りが褒めてはくれない。
出勤して仕事をするのは、当然なのだ。
生活のためにして当然の営みなのだ。
 頑張ればあっさりと周りと差がついて、優等生になれる、
そんな単純な世界ではない。
 

 でも、
頑張りが報われないことより
もっと辛いのは、
頑張れていない自分を見つけてしまうことだ。
(成果が出ない理由を、
資質の低さではなく努力不足に帰属させている可能性もあるが。)

 今までは、ちょっと成果が出なくても、
頑張り屋である自分のことを
自分自身も周りも認めていた。
 勉強が好きじゃない他の生徒学生と比べて、
勉強を頑張っているだけで、存在を認められてきた。

 それが社会に出てからはどうか。
 周りも仕事をしている。
仕事をするだけじゃ頑張っているとはみなされないのだ。
 さらに、正解が分からなくて、褒められなくて、
ますます頑張ることのできない自分を見つけてしまう。

 世の中には、仕事の頑張りが報われなかったり妥当な評価をされなかったりした場合に
どのようなメンタルの持ちようが望ましいか、
という情報は溢れている。

 しかし、頑張ることができない自分に対して
幻滅し、怒り、嘆いている「元」優等生に、
世の中はメンタルヘルスの正しい保ち方を教えてくれはしないのだ。


 頑張り屋の自分を愛し愛されてきた優等生は、
頑張ることさえできなくなった自分を
もはや愛することはできない。
見損なったと落胆するしかない。
 
 できることとしたら……
正しい気分転換や正しい生活習慣に関する情報を探して、
気を紛らわすこと。
これが精いっぱいの努力なのだ。