仏教では他を咎める前に、自分の否をまず問う宗教だ。

何事にも必ず双方に原因があり、なぜそうなったのかを考えないと真実が見えてこないと説く。

などと、偉そうなことを言ったが、人間、自分の否というものを簡単に認められるだろうか。

いな、それができないから苦しむのだ。

人間はたいてい自分だけの観点(主観)でものごとを考えている。

そういう考えで周りを見渡すと、たいてい他者が悪者になる。

いつでもどこでも、自分が正義であり、他者が間違いなのである。

1013日夕刊フジに、こんな記事が載っていた。概要はこんなものだ。

パ・リーグ2位となり球団創設5年目で初のクライマックスシリーズ出場を決めながら楽天球団は、野村克也監督(74)に今季限りでの解任を通告した。11日の本拠地最終戦では、野村監督続投を求めるファン500人が居座るなど大騒動になったが、今後CSで勝ち進めば、この程度の混乱では済まないだろう。野村監督は夕刊フジに不条理な解任劇の舞台裏を明かした上で、球団に対する恨み辛みをブチまけた。「来年は最下位」という究極のボヤキに加え、「本命は古田、ブラウンは中継ぎ」など新情報も飛び出した。

周知の事実の通り、楽天はスタート時、超弱小球団であった。さらに人気もなかった。そんなチームを立て直し、実力、人気共に持ち合わせた球団に発展させたのは、野村監督の功績と言っても過言ではない。その野村監督が今季限りでクビの通告を受けたことで、世間は大騒ぎになっている。

時期監督候補は特に実績のないブラウン監督と言われている。野村監督やファンの納得がいかないのは当然と言える。


「まさかCSまで出てクビになるとは思わなかった。こちらとしては、『4年間やらせてもらった手腕の評価はどうなんだ』と聞いたんだけど。『それは関係ない。あくまでも契約だ』と。球界の常識では契約など、あってないようなものなのに。日本人の情とか、人間のふれ合いとかはないのか?球団首脳には人間性に問題がある。」。

野村監督のやり場のない気持ちは痛いほど分かる。なぜなら、自分はこんな状況で今年の3月クビを切られたからだ。

大学を卒業後、某私学の仏教科の教員として私は採用された。

多感な時期を迎える高校生に仏教を教えることは、決して容易ではなかった。

だが、年々、創意工夫を繰り返すことで、次第に効果が出てきた。

私の勤務していた学校では授業アンケートなるものがあり、生徒が教員の指導力を評価する。

はじめの方こそ、散々たる結果であったが、クビを切られる前3年間の結果は全教員の中でトップクラスに上り詰めた。

多くの生徒が、私の授業はとてもためになったと、評価していた。

事実、学校のシラバスには仏教が一番人気であると、堂々と掲載していた程だ。

それなのに、クビになった。

生徒とのコミュニケーション不足、指導力不足が理由とのことだった。

指導力がない人間が授業アンケートですべての項目で高評価を得るのはなぜなのだろうか?

クビを宣告された直後、私は上層部に対して激しい憤りと、強い憎しみを抱いた。

確かに、至らない部分は多々あったことは自覚している。

しかし、そこまでする必要性があったのか到底納得がいかない。

今まで勤務して、学校に尽くしてきた10年間は一体何だったのか?

「ふざけるなおい、馬鹿にするのもたいがいにしろ。結果はどうした?」

私のクビに抗議してくれた生徒が大勢いた。

辞めないでほしいと懇願する生徒もいた。

半年以上たった今でも憎悪の念は一向に消えない。

『クビになった原因は自分にもある』

そんな、言葉はまだ受け付けられない。

原因を冷静に分析するような余裕などない。

そんな自分自身の今の心境が、野村監督のそれと見事に一致した。

野村監督は、楽天イーグルスは好きだが、楽天球団は大嫌いと言い放った。

私も言いたい。勤務してきた高校は大好きだが、学校法人は大嫌いだ、と

もし、野村監督に『クビになった原因は自分にもあるのでは』などと問うたら

それこそ逆鱗に触れることは、いうまでもない。

人は誰しも生きがいを求めている。
そして、生きがいがあるからこそ、
幸せと悲しみが存在しているのだ。

私にとって生きがいとは何だったのか?
今思えば教壇に立っている時が、
一番の生きがいだったのかもしれない。

人は失って初めてその大切さに気づく。


私はいわゆる問題児と呼ばれる生徒だったらしい。
ケンカもした。いたずらもした。
ムカつく奴をいじめたこともあった。

教員に刃向かうなんて当たり前。
何しろ、学校がつまらなかった。

小学生時代も、中学生時代も、高校生時代も、
楽しかった思い出など一つもない。

大した特技も趣味もなく、
毎日をただ惰性で生きている。
そんな自分が情けなかった。


勉強嫌い、大学受験などもっての外。
たったそれだけの理由で私は付属高校に進学した。
そして、大した勉強もせず、
エスカレータに乗り大学まで進んだのである。