2020年度は新型コロナウィルス感染症の拡大感染で、活動が休止状態になっていますが、コロナ禍の前までの活動のあゆみを複数回にわたって書いてみたいと思います。

 

日本でBBS活動が始まったのは、敗戦直後の1947年。

当時の日本は、いわゆる「戦災孤児」といわれる子どもたちが多く、その子どもたちを救おうと当時の大学生が中心になって活動を始めたといわれています。

(参照)日本BBS連盟ホームページ http://bbs-japan.org/history/

 

静岡県では、その約10年後に活動が始まったといわれており、三島地区でも概ねそのころから活動が始まりました。

 

当時は、高度経済成長の時期と重なり、人口の都市への集中もあって、少年非行の件数が検挙件数ベースで現在の約7倍と大変多くなっていました。

 

静岡県内の他の地区のBBS会員とともに、保護観察中の少年との「ともだち活動」、静岡市内にある少年院(静岡少年院(現:駿府学園))の訪問活動などを行っていました。

 

1980年代~2000年代までは、三島地区BBS会独自の活動として、毎年7月の社会を明るくする運動強調月間にあわせて、少年サッカー大会を開催していました。

(サッカー大会の様子)

 

しかし、会員の高齢化などの要因もあって、活動が縮小体制となり、いったん、休会してしまいます。

 

そんな中、三島地区保護司会の元BBS会員の保護司と静岡県BBS連盟が協働して入会希望者を集め、三島市内にキャンパスを有する日本大学国際関係学部の学生会員を中心としたBBS会として2009年10月に再発足します。

(発足総会の様子 2009年10月10日)

 

この時、再発足したBBS会が、現在まで続いているのです。

 

(その2 に続く)