ボブ・ディランの全曲訳詞に挑戦中、「ディラン日記」のコーナー。キリスト教三部作も遂にラスト・ナンバーを迎えました。あまりにもディランの詩の世界が変わってしまったことに面喰いながらも、"Shot of Love"の後半では、以前のディランに戻ってきた感もありました。さあ、ラストはどんな感じで大団円を迎えるのでしょうか。
Every Grain of Sand
21stアルバム"Shot of Love"(1981)収録
ラストに相応しい美しい曲で締めくくります。評論家の中には、この10年で1番の曲であると評価する人もいるくらいの名曲です。ゴスペルというよりは、ディランのダミ声でなければ賛美歌のように聞こえたであろう曲です。
歌詞の方は、使っている言葉や文法は比較的平易なものですが、前後の繋がりを読み解くのは非常に難しい、まさにこれぞディランの詩の世界といった感じです。また、ワン・フレーズだけ、はっきりと神(あるいはキリスト)に触れてますが("the Master's hand")、全体的に神の存在を意識しながら、人間(あるいは自分)が生きていく中で苦闘していることを歌ってるように思いました。
間奏とラストにはディランの物悲しいハーモニカが流れて来ます。キリスト教時代のエピローグといった感じでしょうか。
まずはディランのHPで歌詞を確認下さい。
http://www.bobdylan.com/songs/every-grain-sand/
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オレが混乱している時 オレが深く必要としている時
オレの足元に広かる涙の海が 新しく芽を出した種に溢れる時
オレの中にある死にゆく声が どこかに手を差し伸べている
危険と絶望の道徳の中で 苦労している
間違いを振り返る方に傾くのはやめな
ケインのように オレは今 壊さなければならない一連の出来事を見ている
その瞬間の怒りの中で オレは神の手を見ることができる
震える全ての葉の中に 砂の一粒一粒の中に
耽溺の花と去年の雑草
罪人のように ヤツらは良心と元気の息を押し殺した
太陽は道を照らす時間の歩みを打ち負かした
怠惰の痛みと朽ち衰える記憶を和らげるために
誘惑の怒れる炎の玄関口を見つめる
そこを通るたび いつもオレは自分の名前が聞こえる
そしてオレの旅路の先に オレは解ってくる
あらゆる髪に番号がついてると 砂の一粒一粒のように
夜の悲しみの中 オレはどん底から金持ちになった
夏の夢の暴力の中 冬の光の冷たさの中
宇宙へと消えていく 孤独のほろ苦いダンスの中
忘れられた顔に浮かぶ純真さの壊れた鏡の中
海が動くような 古代の足音聞こえる
時々振り返ると そこにだれかいる そうでない時はオレだけ
オレは人間の現実のバランスの中にぶら下がっている
すずめが落ちて行くように 砂の一粒一粒のように
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それでは、曲をリハーサル音源ですが、お聴き下さい。