8年目に入っております当ブログ。ご紹介するアルバムもどんどん減って来て、個人的にもややマンネリを感じながらも、ディランの全曲訳詞などと、途方もない目標を掲げながらなんとかやっております。そんな中、なんか春の日差しが気持ちいいこの季節、新しい企画なども取り入れながら、自らを奮い立たせて続けて行きたいと思っております。

そんなわけで、久々の新書庫立ち上げであります。これまでは、アーティストや曲を中心にスポットを当てて来ましたが、この新書庫では、音楽シーンにおいて表にでることなく、それでいてシーンにおいて重要な役割を果たしてきた「裏方」にスポットを当てて、これまでとは違った視点から、シーンを眺めていきたいと思います。題して「裏方稼業繁盛記」。プロデューサー、レーベル経営者、敏腕マネージャーなど、音楽を創って発表する過程に関わった偉人達をご紹介して行きたいと思います。

第1回はやはりこの人でしょう。

File1:Geroge Martin

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1926年1月3日 ロンドン生まれ(88歳)
1950年 EMIに入社
1955年 傘下のパラフォーンのマネージャーに。
1962年 ザ・ビートルズにレコーディングの機会を与える。
1965年 独立。
      以降、多くのロック・アーティストをプロデュース。
1996年 ナイトの称号を与えられる。
1999年 聴力の衰えを理由に引退。


【ビートルズ】
やはり、いろんなレコード会社のオーディションに失格したビートルズのテープを聴いて、パラフォーンでレコーディングを実現したことが、この人の最も大きな功績でしょう。この閃き(気まぐれかもしれませんが)がなかったら、ロックの世界も今とはずいぶん変わっていたのではないかと思います。

さらに、ビートルズが、音楽的にも、レコーディング技術的にも、どんどん新しいモノを吸収して進化を遂げて行く過程で、重要な役割を果たしています。

有名なところでは、「In My Life」の間奏におけるバロック調のピアノを弾いたのもマーティンでした。
http://www.youtube.com/watch?v=lN4BqEvb18M

また、「Penny Lane」でポールの要望に応じて、ピッコロ・トランペットという楽器を紹介したのも彼でした。
http://www.youtube.com/watch?v=6pN7eNSFXEY


【映画音楽等】
ビートルズと出会う前のマーティンは、クラッシック・レコードや、コメディのサントラなどを手掛けており、ピンク・パンサーでお馴染のピーター・セラーズの作品などに関わっていました。

また007シリーズの音楽にも関わり、シャーリー・バッシーが歌ったテーマ曲、「Goldfinger」のプロデュースを務めてます。
http://www.youtube.com/watch?v=51Wg6k9cWhM

もちろん、ポール・マッカートニーによる007テーマ曲、「Live And Let Die」も手がけました。


【その他のアーティスト】
ビートルズ解散後も、70年代を中心に多くのアーティストの作品に、プロデューサーとして関わりました。

有名なところでは、アメリカの「Holiday」(1974)、「Hearts」(1975)、「Hidaway」(1976)などのアルバムを担当。
「Tin Man」
http://www.youtube.com/watch?v=O3fI0mLz3ks

さらに、ジェフ・ベックの「Blow by Blow」(1975)をプロデュースしたことも話題になりました。
「She,s a Woman」
http://www.youtube.com/watch?v=cx4-TM4qQN8

この他、チープ・トリックの「All Shook Up」(1980)、日本のXのYOSHIKIのソロ・アルバム「Eternal Melody」(1993)なぞにも関わっています。

そして、90年代における最も大きな仕事は、世界で最も売れたシングルという記録を持つ、エルトン・ジョンのダイアナ妃追悼曲、「Candle in the Wind 1997」でした。



「5人目のビートルズ」と言われ、どうしてもビートルズのプロデューサーというイメージが強いですが、ビートルズを抜きにしても、かなり大きな仕事をしている人でした。本人は引退しましたが、息子のジャイルズは、ビートルズ関係も含め、プロデューサーとして活躍しています。