先日、この映画を観てきました。
「存在のない子供たち」 レバノンで生き抜く、出生証明のない子供のお話。
彼は実の両親を訴えた。「自分を生んだ罪」で。
この前は、ハンディキャップの施設のメンバーと一緒に、ワークショップを開いた。
静岡から3時間もかけてきてくれたけど、集客がまずかったのか、
申し込みの半分も当日キャンセルが出た。
それでも、彼らと過ごした時間はかけがえがなく。
振り返りをしていて、「やって良かった」と心から思えた。
3年前の私は、この映画を観ようなんて、ハンディキャップの人たちと関わろうなんて、
ほんの少しも思いもよらなかった。
そのころの私の頭の中は、売上の拡大と、社会的な評価を得ることで、いっぱいだった。
2016年ころから、いろいろなことに行き詰まって、
2016年の誕生日に、卵巣嚢腫の手術をして、
手術後も鬱々とした心理状態は治らずに、
あんなに大好きだった職場も仕事も、面白く感じられなくなって。
子供も産まないのに、仕事もしない、
本当に自分は、世の中のなんの役にも立たないんだなぁ、と自分を責めた。
2年間、苦しんだ後に、会社を辞めることにした。
会社を辞めることを決めてからは、興味の赴くままに、ワークショップに参加したり、
セラピーを受けたり、資格を取ったり、カウンセリングを受けたり、前世と話したり。
それから、久しぶりに、映画館で映画を観たりした。
何をしていても、たくさん泣いた。
どんな場に行っても、泣いてばかりで、恥ずかしかった。
思うようにできなかった自分。
褒めてもらいたい人に、認めてもらえなかった自分。
なりたかった自分に、なれなかった自分。
愛されたかった人に、愛されなかった自分。
正しくいられなかった自分
あると思っていたものが、幻想だと気づいた自分
それでも、世界はとても優しく、そこに居てくれた。
ただただ、「そうだったんだなぁ」と。
環境活動家であり、仏教哲学者のジョアンナ・メイシーのワークでは、こういうスパイラルを提供している。
“ 感謝 ”(gratitude)
“ 痛みを大切にする ”(honoring our pain)
“ 新しい目で見る ”(seeing with new eyes)
“ 前へ進む ”(going forth)
Spiral artwork by Dori Midnight
「世界を新しい眼で見たいと望むならば、
今あるものへの感謝と祝福が、まずは必要なのだ」、と。
私の痛みや挫折や悲しみは、そこに居てくれた世界への感謝と一緒に、弱さを受け入れることを許したのでした。
そうやって、自分の弱さを受け入れ続けた先に、見えてきたものは、世界にある「なかったこと」にされている問題たちの声だった。
(つづく)