ちょうど一年前、去年の3月11日。
金曜日で、3時の〆め切りに追われていて関西の営業さんと電話していて。
地震。
9Fにあるオフィスが円を描くように揺れ、ざわめきから悲鳴にかわった。
「みんな廊下にでて!」
と誰かが叫んでみんな廊下にでてうずくまっていた。
(わたしは非常口の扉を開けて抑えるように言われて、震えながら抑えてた)
ニュージーランドの地震でビルが倒壊したことがついこの間あったので、このビルが倒壊したら、もう親に会えないんだろうな、とかこのまま死ねないって思った。
揺れが収まってとにかく外へ。
今年みたいに寒くなかったけどまだ3月も上旬。
くもりだったので多少寒かったと思うんだけどそんなの感じず長袖Tシャツ1枚ででて、あとで営業さんがジャケットを貸してくれた。
誰かが携帯のテレビで、
震度と津波の状態を見て状況を把握した。
もうなにがなんだか、夢みたいで、夢であってほしいとおもって、気づけば社内の子と手をつないでた。そこまで話したことない子だったのに、そんなことどうでもいいくらい不安で、誰かそばにいてくれることがありがたかった。
一度オフィスに戻りすぐ解散。
もちろん電車はうごいていないので同じ方向の人同志で別れて歩いた。
わたしはいつも仲のいい営業さんがほんと奇跡的に近くにいたので車に乗せて帰ってもらった。
その営業さんの家に泊まらせてもらったけど彼女さんが仙台の出身の人で、親御さんたちと連絡が取れない不安の中、図々しくも泊まらせてもらえたことにほんと感謝だ。
(あとでご家族の無事を確認!)
次の日家に送ってもらった。
その時わたしの大切な人は岩手にいた。
車に乗っているときに地震があり、トンネルの中で情報がなくなかなか車が進まないとUターンして実家に戻ったらしい。
そのトンネルはのちに津波に襲われた。
国家公務員の彼は、
そのあとすぐに招集がかかり、福島へいくことになった。
不明者捜索。
現職でなかったら見なくていいものをまじかでみてきた。でも自らも被災者なのに不明者捜索に手を貸す現地の消防団の方もいるのに、弱音なんてはけなかったと言う。どんなに疲れても睡眠時間が1時間でも気を、体を振るいたたせて任務にあたった。
それをきいてもう泣くしかできなかった。
地震と津波で日本が変わった。
情報も何が正しいのか、誰が正しいのか。信頼できるのは何か、誰か。
自分にできることは何か。
とりあえず定期的に募金します。
そして日々の感謝。
当たり前は当たり前じゃないってこと、忘れそうになるから再認識。
今日は特番がいっぱい。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。