幕末の日米親善 | ボストン!英会話!留学!料理!海外生活!★BBHEのブログ

幕末の日米親善

昨日9月7日(金)に友人のツアーに便乗して、幕末にアメリカー日本間で最初の国際親善となったジョン万次郎の足跡を訪ねて来ました。
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幕末に、土佐の高知の漁師5人が嵐で難波し鳥島に漂着しました。
今から171年前、1841年のことです。
約6ヶ月後アメリカの捕鯨船が鳥島近辺を通り、新鮮な食糧となるウミガメを捕獲するために鳥島に上陸しました。
彼らはそこで、半死半生の5人の日本人漁師を発見します。
お互いに言葉は通じないものの、状況を把握したアメリカの船員は彼らを救助しました。

当時日本は鎖国しており、アメリカ船が日本に寄港することは出来ませんでした。
そのため捕鯨船はハワイに寄港し、そこで5人の日本人漁師を降ろそうとしました。
しかし、1番年の若かった(14歳)万次郎は、捕鯨船のホワイトフィールド船長に気に入られ、彼と共に航海を続けることになります。
約2年半後、捕鯨船は母港のマサチューセッツ州フォート・フェニックスに帰りますが、万次郎はホワイトフィールド船長に引き取られて、彼の故郷フェア・ヘブン(隣町)に落ち着きました。

そこで万次郎は船長の息子同様に育てられ、地元の小学校で読み書き、ソロバンを習い、更には海洋航海に必須の航海術や海面測量、数学を学んだそうです。

救助から約11年半後、万次郎はようやく日本に帰国しました。そして、幕末の1853年に黒船で来航したペリー提督が、アメリカ合衆国大統領国書を幕府に手渡した時や、翌年の日米和親条約締結時には、密かに通訳として貢献したと言われます。
その後万次郎は東京大学の教授になり、日本の英語教育や海洋航海技術の普及に大きな足跡を残し、71歳で他界したそうです。

異国で自分の運命を切り開いた万次郎もスゴイけど、彼の気概を見抜いてアメリカで息子同様に教育をした船長もスゴイ‼‼

そして、日本に開国を迫ったペリー提督は、なんと、万次郎が暮したフェア・ヘブンの町から30分程度の街ニューポートで生まれ育ったのだそうです。
$ボストン!英会話!留学!料理!海外生活!★BBHEのブログ-photo.JPG わぁー横になっちゃった! ゴメンなさい‼

歴史はホント面白いですね‼


090812
Mariko