広福女王♡仙台334の広福菜根譚その11

博多方言より広島方言に近い小倉方言

4月あたまに私は久しぶりに広島と福岡に足を運んだのですが、広島市から福岡市
の移動途中、北九州市にも寄ったのですが今回も強く感じられたのは北九州市は
「九州」という言葉が入っていても、あまり九州っぽさを感じず、瀬戸内の広島に
近い風土を感じさせます。特に小倉は広島に言葉遣いまでも似通った感じがします。

ふてくされる、の意味で広島や山口で使われる「はぶてる」と言う言葉遣いも小倉で
使用されますし、文末も~じゃ、という言葉が使われてるように思います。強いて
違う点を言えば広島のような上がり下がりや間延びしない、という所でしょうか。

方言境界は必ずしも地方境界と重ならない


しかしこれが八幡まで行くと博多周辺の言葉とそう変わらなくなります。
北九州市の八幡、若松、戸畑が旧筑前国、小倉と門司が旧豊前国でしたが
旧国の違いが現在にも生きていたのには驚愕いたしました。豊後の大分と共に
瀬戸内方言の地域だとは知っていましたが、筑前部とはかなり違いがあるのに
驚いたものです。

似た例としては北陸地方に分類される福井県でも嶺南と呼ばれる若狭地方の
方言は北陸方言ではなく関西方言に近いとの事です。阪神OB会長になってる
川藤幸三氏の言葉遣いが好例でしょうね。

方言境界の北九州から福岡市への移動とその理由

ところが差異がまだあるにもかかわらず、福岡市内語は従来の博多方言からは
かなり瀬戸内方言化、標準語化してるような気がします。「どげんしたとや?」も
「どうしたとや?」、「何しようっと?」も「どうしたと?」と話す人がいて昔のドラマや
漫画で使われる博多方言が逆に聞かなくなってるということです。


結局、福岡市が昭和50年に山陽新幹線開通と東京便ジャンボジェット直行便の
運行で広島以西の西日本の中枢都市になった事で博多を中心とした福岡市は
大きく変わったのではないかと思います。他の九州の他、広島や山口、大分や
北九州など瀬戸内方言の人達や東京からの転勤族の介入で福岡市は九州色
の薄い、非九州的な土地柄に変貌、方言も瀬戸内方言や標準語化したと思われます。

かつては北九州都市圏の方が軍事産業や炭鉱などで他所者が集まり、方言の境界は
戸畑と共に遠賀川が境などとも言われましたが、現在は福岡市と北九州市の間にある
遠賀・宗像地区は両市のベッドタウンともなっており、現在の方言の境界は福岡市で
あるといっても過言ではないでしょう。福岡市南隣の二日市温泉あたりはまだ結構、
九州弁が飛び交い不思議な安心感を感じました。

今回の広福教訓

時代と共に方言の境界も変わっていく例もある。