起業へ順調な滑り出した時期に、まさかのバイク事故。

少し心が折れそうになり起業を志す今の状態を、病院のベットの上で自分なりに振り返っていた。思い返すと、就職以来、製造業のサラリーマンとして働いてきたことが、独立起業を決意した背景であった。

 

「24時間戦えますか〜🎵」の栄養ドリンクCMではないが、20代は猛烈に働いていた。それから30歳になる頃にはオーストラリアに駐在。その時、オーストラリアの人々の仕事や私生活に触れたことで、そもそも「自分の理想とは何か?」を考えるきっかけとなった。しかし、当時の自分は「オーストラリアでの生活を楽しむのは今ではない・・今の環境からより多くの経験を積むことだ」 と考えていた。思えば、随分と鼻息荒く働いていたので、焦っていたというか、単に若かったと言えるだろう。

 

とは言え、 オーストラリアの生活は、素晴らしい同僚・友人達との出会いに恵まれ、家族も皆満足していたので 「55歳になったら早期退職し、オーストラリアに帰って人間らいしい生活を送るぞ!」 と、密かに将来の状態目標を設定していた。 

 

 

 

その後日本に帰国後、家族の生活環境を考えシンガポール駐在勤務の仕事に転職。

40歳で帰国したあとすぐ、漠然と45歳までに独立起業する目標を設定していました。

 

それも、日本に帰国後からは「仕事の理想」と「私生活」に蓋をする代わりに、経済的安定を選択した為である。

 

自分の場合、40歳ともなると会社・経営者・上司など他人の価値観・判断の中で働くことに、経済的安定以外、意味を見出せなくなっていたので、他社への転職ではなく「独立起業」しか考えられなかった。

 

しかし、組織の中での役割もあり、また尊敬する上司からの期待もあり、45歳までに独立起業することは叶わなかった。

 

 

これまで・・・、

45歳での退職を逸し、

早期退職制度を申請できるまで年齢まで勤め、

恩義ある上司や志しを共にした同僚も多くが退職し、

 

全てのタイミングが整い、ようやく起業に向けてスタートに辿り着けたのではないか!

 

「事故というあり得ない不運ではあるが、これもバイク乗りとしての将来を戒める教訓である」とこんなことで事故をネガティブに捉えないよう、自ら考えを切り替えたことで、現実と気持ちを整理することができ、現状からどう前進するか考えられるようになっていた。

 

 

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