「銀英伝」の感想ブログを書いてから、1週間経っちゃった叫びあせる


「光のシグナル」(もう!!大好き!!大好きなの!この曲~~~~~~~~~泣!!のドラえもんバージョンが届いて映像を見てから(フラゲした人の日記などでニカちゃんが素晴らしいとあったので)感想を!!!

とか思ってたらいつまでも届かなくて、そうこうしてるうちに怒涛の番組攻勢ムンクの叫び 紫

どんどん溜まってゆくし追いつかないしあせる


以前に「ちゃんと細かくちょこちょこ書けば良いのよ!順番通りに!!!」

と何度も思ったのですが、区切る事が出来なくて、1週間溜まっちゃった苦笑あせる




そして、とても重要な日になってしまいました。


3年前、私は自宅でお義母さんとお茶しながらTVを見てました。

突然の地震はあまりにも大きくて、「とうとう関東大震災が来た!!」と玄関に向かってドアを開けました(←これが一番最初にする事)。

2度目の地震までにヘルメットを用意してたので、二人で被ってTVで状況をそのまま見ていました。


私は古代史好きの歴女、ならぬ『古代女』で、以前はよく日本の巨石文化(巨石が大好きなの!!)とか神社仏閣、古墳や遺跡などを見に旅行してました。

しかもちょっと“とんでも”が入っているので「こんな所誰も来ないムンクの叫び 紫!!!」とか言う怪しげな地にも行ったりして、旦那も巻き込んでおもしろがっていろいろ行きました。


そんな旅行に岩手の釜石の思い出が有ります。

山田線で北上して「浪板海岸」と言う小さな可愛らしい無人駅に降りて、そこから丘の上にある「浪板観光ホテル」と言う所に泊まりました。




「浪板海岸」駅は、5月だったせいか若芽が芽吹き始めてて全体的に浅草緑で、線路沿いの菜の花やすみれ、色んな花々が咲いていて平和で牧歌的な所でした。

あまりにもその佇まいが気に入り過ぎたのか、たくさん写真を撮った記憶があります(載せたいのですが、写真が出てこない汗)。


「浪板観光ホテル」は丘の上にあって、そこまで行くのに結局荷物をゴロゴロ引きずりながら歩いて行った思い出があせる

けっこうな距離で、丘の上なので坂道がきつくて、だから強烈に印象に残ってました。

太平洋に面したお部屋の窓の向こうはもう海で。



TVの津波の様子を見ながら、あそこはどうなったんだろうか?

と思いを馳せましたが、どう考えたって無事な訳がなくて。

他には、宮城は松島にも行きましたので海岸沿いの地域に関してはとても気になってました。



夫婦そろって今まで検索して来なかったんですが、今回思い切って調べてみたのです。

3年経って「浪板観光ホテル」は「三陸花ホテルはまぎく」となって復活してました。


復興がなかなか進まないと言われてますが、確実に前へ進んでいたのを感じました。

それでもまだまだですので、これからも出来る範囲で出来る時に出来たらと思ってます。





義母から聞いた、祖母の大正時代の関東大震災時のお話です。


すごい揺れに早く家の外に出ようと思って幼子を抱えていたのですが、放り出してしまうほどの勢いだったそうです(こどもは無事でした)。

千葉菅野の自宅の池の水は全部回りにこぼれてしまい、木の下に行ってしがみつこうと思ったら根っこがぼこぼこ地面から出て来てしまうほどの揺れだったそうです。


この状況はいったい震度いくつだったのでしょうか?

震度計は無かったと言いますが、7度くらいとか言ってますよね。


3年前の地震、関東は震度5強くらいでしたが、あれであの揺れなのですから震度7は計り知れないですね。


因みに1000年前は三陸に来た後、7年後くらいに関東に来てます。

その後、東南海です。

日本はどこにいても危険な国です。

日頃から備蓄や心構えが必要だとあらためて今日思いました。