日本プロレス
1953年 力道山 設立
力道山は戦後日本のヒーローですが、
実は、朝鮮から日本へ渡り、相撲とりになりました。
母国には、妻子がいました。
朝鮮人ということを隠し、関脇までになりますが
相撲をあきらめます。その原因には諸説あり。
そんな力道山、プロレスラーとなります。
まだ、プロレスは日本では、あまり認知されていませんでした。
しかし、敗戦国の選手が、大きな白人に勝つということで、大人気
となります。
国民は、街頭テレビで、この様子を見て熱狂します。
テレビの普及に、力道山を自宅で観たいということで、貢献しました。
数年すると、プロレスはショーの要素が多いということが
知られるようになり、人気もそこそことなります。
日本プロレスのコミッショナーは、自民党の実力者 大野伴睦、
川島正二郎
ちなみに、仲曽根さんは、力道山のリキアパートを事務所としてたとか?
そんな中、力道山は、ささいないざこざから刺されて死亡してしまいます。
そして、馬場、猪木時代へと突入してゆくのです。