舟が近づいて行くにつれ、西郷隆盛は、藤田東湖から聞いた。一橋慶喜(徳川慶喜)の話の中の1つを思い出した。
それは、一橋慶喜が11歳で、一橋家を継ぎ、その時の将軍、徳川家慶に呼ばれて初めて、お目見えしたとき、徳川家慶は、まだ幼い、一橋慶喜に、自分の持っている数え切れないほどの盆栽の中から20鉢選び、その中から2鉢か3鉢ぐらい、与えようと思い庭へ連れ出し見せて選ばせた。
「どうじゃ、慶喜、わしの盆栽達じゃ、気に入ったのを選べ、やるから持って帰るが良い」、
すると、一橋慶喜は、並べられた盆栽の鉢を見ながら、
「みな、素晴らしいから選べません」、
「そう言わず、気に入ったのを選べ」、
それから、徳川家慶は何度も好きなのを選べと言っても、一橋慶喜は、みな素晴らしいとしか答えないので、徳川家慶は、仕方無く、出してきた自慢の盆栽20鉢全て、与えてしまうことになった。
その事を、徳川家慶は、「いや、一橋にはしてやられた、わしの盆栽、みな良いと言い続けおったから、気に入ったのを、やると言ってしまったてまえ、20鉢全て、与えてしまうことになってしまったわ」と、この話を生涯し続けたみたいです。
西郷隆盛はこの話を思い出し、「将軍様でさえ、自分の得になるように動かしてしまう、お方、今のこの国の、一大事の時の次の将軍継嗣は、やはり、一橋慶喜様しかいないでごわす」、西郷隆盛は、そう確信した。
舟は、猛スピードで近づいて行く、西郷隆盛は平岡円四郎に自分の存在を知らせるためにじっと見つめていて、近くに行けば、平岡円四郎の名前を呼ぶつもりだった。
舟が近づき、平岡円四郎と目が合った、西郷隆盛は、これで一橋慶喜に謁見できると思ったが、平岡円四郎は知らないフリをして、しばらくすると、舟は動き出した。
「あっ、平岡どん、おいのこと知ってもすのに舟を動かしおった、おいはただ、近くで慶喜様を見られたらいいでごわすのに、源兵衛どん、あの舟をどんどん追ってくれもせ」、
西郷隆盛は何としても、一橋慶喜を近くで見たかったが、いきなり別の舟が前に現れ止まり舟を停めさせてきて、周りを3隻の舟に囲まれていた。
前の舟に乗っている者が棹で源兵衛の舟を突きまくりながら、
「やい、おめえら、わしらの遊びの邪魔して、どこへ行こうとしている」、
西郷隆盛と源兵衛は、この舟達の釣り遊びの邪魔をしに来たことにされていた。
源兵衛は、自分の舟を突かれたことに怒りながら、
「やいやい、おめえら、俺が品川の源兵衛だと知って喧嘩を売ってるのか?」と、大声で叫んだ。
西郷隆盛は、すぐに、この者達が、おそらく、一橋慶喜の護衛の者達だと感じたので、
「源兵衛、まて、怒るな」、
そう言って、源兵衛を止め、3隻の舟に乗っている者達を見た。
3隻の舟に乗っている者達の服装は、皆まちまちで、一艘には三十代ぐらいの男が侍姿で2人乗っていて、もう1艘には四十代ぐらいの商人と手代風が乗っている、残る1艘には宗匠頭巾の隠居が、小者と娘を連れて釣りに来ているという格好だった。

つづく。