短編小説『汚泥の底』 | 田中創の薫製サラダのブログ

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4.桜子


 俺の記憶に残っている高校時代の級友はそう多くない。なにせ結構昔の事だ。
 その記憶に残っている級友の中に女は二人、野口桜子と中畑緑だけだ。特に桜子は高校三年の時に席が隣だったからよく覚えている。
 桜子はよく喋る奴だった。俺は基本的に仏頂面であまり人と話さない男だったが、桜子はそんなのお構いなしに俺に話しかけた。例えば、クラスの女子が妊娠したとか、親と喧嘩したとか、本当にどうでもいい話だった。しかし、そんな気さくな桜子から突然告白された時は驚いた。俺はいくら桜子から話しかけられても適当な相槌を打ったりしてただけなのだが、まさか惚れられているとは毛にも思っていなかった。
 もちろん断った。もちろんというのは、桜子が不細工だったり面倒な女だと思って断った訳じゃなく、その時俺は女なんか作れる環境では無かったからだ。桜子は同世代の女の中では垢抜けていて綺麗だったし、粘着質な女でもなかった。断る必要もなかったし、本心は付き合いたいとも思った。しかし両親が行方不明になり、親戚もいないからアルバイトで生活費を稼がなくちゃいけない。そんなときに女なんか作れるわけがない。
 だから断った。その後は別に桜子との関係が崩れる事もなく、また次の日からくだらない話を俺にしてきた。本当にいつも通りの話を。
 なんでこんな事を思い出しているのかと言えば、今病室にいる女が桜子なのか緑なのか分からないからだ。ちなみに、緑は顔しか思い出せない。ただ俺の男友達の彼女だったから覚えているだけだ。
 「あれ、忘れたの?誰かわかんない?」
 「失礼だが、全くじゃないがわからない」
 「えぇ、見てよこの綺麗なお顔。思い出せない?」そう言って女は俺に自分の顔を見せびらかすように近づけた。
 その、顔は女優と見間違うような綺麗な顔をしていて、全体的に幼いという印象を受けるが、長い真っ直ぐな髪で大人の雰囲気を醸し出していた。もしこれが桜子だとしたらもうちょっと老けていてもおかしくない。
 「いや。桜子なのか?」
 ほぼ当てずっぽうだ。もしこれで桜子じゃなかったらとんだ赤っ恥をかくことになるが、そうはならなかった。
 「ふふ、実は分かってたんじゃないの?久しぶりね元気にしてた?」首を傾げる女……桜子。
 「おい春男。本当か?少し若過ぎやしないか、桜子だとしたら」
 「酷いなお前、俺達はまだ34だぜ?若くて当然だ」そういうことを言ってるんじゃなくて。
 「春男くん。いいの。私は本物の桜子よ。正真正銘のね」
 「整形なのか?」もちろん失礼に値する言葉だとは分かっているが、整形でなければ説明がつかない。しかし、桜子は首を横に振った。
 「違うわよ、皆から言われるけど、整形じゃない。あれ、高いもの」
 「…………春男」
 「彼女の言ってることは本当だよ。整形じゃない。ささ、病室なんかじゃなくて喫茶店にでも行こう。朝飯を食ってないんだよ俺」
 「おい、なに勝手に話進めてんだよ、本当に野口桜子なのか、お前」
 「はぁ…高校のとき、田辺鉄也に告白したのは野口桜子よ。ね?」
 俺は絶句した。本物の桜子しかわからない。春男にすら話してない事を知ってる。つまりこいつは、この若く見える女は34歳野口桜子だ。