南淵請安の墓 | ビービービーのブログ

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飛鳥川の飛び石を過ぎて、さらに時間がありそうでしたので、奥飛鳥と呼ばれる地域を飛鳥川に沿って歩きました。


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川の向こう岸にある通りを見ると、観光バスやら自家用車が列を作っています。普段はとても静かな地域ですが、とたんに騒がしくなります。集落の人たちの農作業は、ここ数日は仕事にならないらしくお休みですね。


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車通りの少ない小さな道を歩きました。立派な石垣などがあり、このあたりは意外にも立派な家やお寺があって、なかなか豊かそうに見えます。


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南淵請安の墓を示す道標が見えてきました。この坂道を上りきった場所のようです。


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高台を登って行ったところから集落を見下ろしたところです。こうして見ると、立派な住宅なだけでなく、この辺りは大きな集落なんですね。とても過疎化が進んでいる村とは思えません。


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お墓とはいえ、とてもしっかりした鳥居までありました。南淵請安は飛鳥時代の学者であったので、神格化されているんでしょうね。
南淵請安は、小野妹子とともに遣隋使として随に派遣され、留学後日本に戻って来た学問僧です。
中大兄皇子と中臣鎌足は、南淵請安の進んだ随の学問を共に学んだとされているため、乙巳の変(蘇我入鹿を殺害した政変)の影の立役者ではないかとも言われています。


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鳥居の向こうには、お墓というよりも神社のお社のような建物が、階段の向こうに見えています。


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飛鳥川のほとりは大勢の人がいたのですが、さすがにこの辺りにはあまり人気がありません。とてもひっそりと南淵請安は眠っていました。晩年はこのあたりで過ごしていたと言われています。乙巳の変当時は既に亡くなっていたと言われています。


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少し離れた場所から、南淵請安の墓を眺めてみました。飛鳥の稲渕を見下ろすような場所で、南淵請安は何を思うのでしょうか。


さらに飛鳥川上流を目指して、まだ続きます。