​🐠の水泳&塾スケジュール&性質

スター月〜金→水泳
(17時半自宅出発〜21時帰宅)

スター平日週2日→日能研
(国語1コマ/日、算数1コマ/日のみ受講。両日共に早退して水泳へ。)

スター土日→大会or二部練習&塾テスト
(※二部練は1日2回クラブに行くアセアセ

スター2科目受講です
(未受講分の算数1コマ、理社は完全独学。
テキストとテストは購入したので、テストは4科目受験。但し、クラス替えは2科目査定)

スター素直に勉強しません。少しでもアドバイス等すると発狂します。伴走なんて夢また夢。早くも自走ならぬ自泳してます。母は手をこまねき動悸を抑えながら過ごしています。

2024年8月22日夜、長くお世話になった日能研を辞めました。


🐠、小2のユーリカキッズから通っていました。

ユーリカキッズは🐠にとっては本当に好奇心と興味を掻き立てるもので、友達は1人も出来なかったけれど、毎回それはそれは楽しく通っていました。

🐠らしさを最も発揮出来た舞台でしたキラキラキラキラ最高でした。



予科教室も🐠にとってはワクワクする時間でした。ここでもまた友達は1人も出来なかったけれど、先生方が🐠をかなり引き揚げて下さり、🐠にも光が沢山当たり始めました。

世間とはだいぶ違う予科教室の国語と算数は、🐠にはかなりフィットしていたようでした。

マイファーストテストの成績も上場で、数回でしたが、科目で全国一位も取りました。



当然の如く本科教室へと進級し、畏れ多くも我が家から応用クラスの子が誕生しました。育成テストは応用問題を解き、公開模試には10の位に見慣れない6の数字が並びました。


🐰が丸3年、🐠が2年半、途中重なってはいたので、厳密には違いますが、合計すると5年半もの間、日能研と共に歩んで来ました。

私の子育てライフの殆どが日能研でした。



そんな日能研とのお別れのきっかけは夏期講習の時間と水泳が重なったから。

当初はいつものように塾早退→水泳遅刻を予定していましたが、水泳で毎日遅刻!が許されず、夏期講習は辞退しました。どこにも通わず夏を過ごすつもりでした。今思うと何と恐ろしい、、、


そんな時、水泳仲間が早稲アカ夏期講習の存在を教えくれて、軽はずみな冷やかし気分で入塾テストを受けたところ、予想以上の偏差値が出ました。

嬉しくなった🐠と私、その場で夏期講習に申し込みました。



それが決定打となりました。

蓋を開けば、早稲アカの授業日の内1日は、平日唯一の水泳オフ日!!しかも来年度も変わりない。日能研だと来年週3日共にモロ被り。



その旨を日能研に伝えると、授業を受けられない事への様々な対応策を提示して下さいました。

しかし、🐠の為だけにイレギュラーを生じさせることに申し訳なさを感じてしまい、有難い提案はお断りしました。

 


日能研の室長は最後の最後まで人間的でした。

神様です、本当に。決して崩れない。と言うか、生まれつき徳の高い方、人格者なのでしょう。

本当は死ぬほど嫌な思いをしているでしょうに、言葉の一つ一つに嘘がなく、商業的要素は微塵も感じられませんでした。


辛くなったら、まだ🐠の席は残しておくから、いつでも戻っておいで。

もし戻って来た時に“ちぇっ、辞めたくせに!”何て絶対思わないし、もし戻って来てくれたら本当に本当に嬉しいと思える自信がある。


お母様の想いは本当によく伝わっているし、🐠の性格を知っているだけに苦渋の決断だったこともよく分かる。


日能研で学んだ子として、これからもずっとずっと応援している。


またどこかで会える気がする。



一筆書いて頂かないと返金対応が出来ないので、明日書類を発送します。返信用封筒に必要事項を書いて返送して下さい。






涙でほとんど何も受け答え出来てなかった私が言えた事。

“書類の返送は要りませんので、ご挨拶に伺わせて下さい。そこで書きます。”

“水泳を辞めたらまたお世話になるかもしれないので、長い間ありがとうございました。は言わないでおきます。ただただ感謝の気持ちで一杯です。”




私はやっぱり日能研が大好きだと再認識して、未練タラタラで、日能研を去りました。

心にポッカリ空いた穴を、早く早稲アカのハードな演習に埋めて貰いたいと心から願っています。