私の日記なんか誰が読むんだろう、って思いながら書いてる。
自分のエネルギーを出すために書いてる、とか大見得切ったものの、やっぱり誰も読んでくれないのは寂しいよなぁ、やっぱタグとかつける?とか思ってる自分が居て、笑った。
ウケるw
非常にダサいw
非常にダサくて、ウケるw
そして、そんなダサい自分がお気に入りである。
もうとにかくダサいw
ダサくていいw
かっこつけなくて済むから、非常に楽である。
上記に書いたことは、「悟り的なものを探求していたけど、大体わかったから、情熱がちょっと減った」とかも書いたのに、悟ったわけではない、っていうことがよくわかるエピソードである。
ちなみに、悟り的な物(つまりこの世の仕組み)を知ることと、この世の仕組みを知って、それを使って体現していくこととは、別物である。
というのが私の今のところの意見だ。
知ることは座学であり、知識である。
体現することは、実地であり、技術である。
悟りは技術であるからして、使おうとしたときには、鍛錬が必須である。
では、どのような鍛錬が必要なのか?ということになるが…
これから意味不明なことを書く。
意味不明だと思う。
以前の私が、これを読んだら、生暖かい目で見守るだろうと思うようなことを書く。
もし、わかる人がいたら、お友だちになりましょう。
悟りの鍛錬とは、以下を忘れずにいるということだ。
・世界は自分の意識が創っているということ
(世界には他人はいない)
・世界にはヒトツ(動き)しかないんだということ
(分裂していない、知覚できない)
・この瞬間にすべては存在していること
(時間は存在しない)
この辺のことを常に意識しているというのが、悟りの鍛錬なのではないか、と思っている。
ちなみに、私は悟ってないので、本当のところはわからんw知らんw
しかし、悟ったっぽい人とか宇宙人ダウンロードしてます、とかっていう人たちが言うことうや哲学者や物理学者が言ってることを総合したら、こうなった。
般若心経とかもなんか、似たようなことを言っているような気がする。
聖書、読み切れてないので言い切れないが、聖書も似たようなことを死ぬほどたくさんの例を引いて書いてる気がする。
全部、気のせいかもしれんが。
私は、日々、この鍛錬を行っている。
何もしてないように見せかけて、日々、この鍛錬を行っているw
まぁ、マルクスガブリエルの言う通りに、この世界が存在しないんだとしたら、それはそれで大変おもしろいな、と個人的に思っているので、
この鍛錬をやってみているのだ。
しかし…わたしの仮説が正しければ、わたしの身体はハンコックのようになっているはずなのだが………ううむ。
まだまだ鍛錬が足りないようである。
おわり