心を「緩める」(ゆるめる)とはどういうことなのだろうか。

 

 

 

ところで、あなたはリラックスという言葉を聞いた事があるだろうか。

 

私はある。

しばしば、耳にする。

 

 

 

 

日々、英語で怪しい誘導瞑想を聞きながら瞑想をしているので、毎日聞く。

 

 

 

Relax and joy!

 

 

 

 

 

 

 

リラックス。

リラックス。

 

この言葉をよく見てほしい。

よ~~~~~く見てほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

…カタカナである。

どうみてもカタカナである。

 

 

 

そう。

リラックスは外来語なのだ。

 

 

 

外来語。

っていうか、英語だ。

 

 

 

Relax。

 

 

 

日本語で言うと、どういう言葉になるのだろう。

 

 

 

力を抜く。

気を抜く。

緩める。

 

 

ない!

ないぞ!

 

 

リラックスを表す、適切な日本語がない!!!

 

 

英語のRelaxに含まれるニュアンスは、身体的なものと精神的なもの、両方を含む。

そんな言葉は日本語にはない!!!!

 

 

 

強いて言うなら、「身体の力を抜いて、気を楽に」だろうか。

リラックスを表す、短い日本語は存在しない。

(私が知らんだけかもしれんが)

 

 

 

リラックスという言葉が日本語にないということは、どういうことなのだろうか。

言葉が存在しない、ということはどういうことなのだろうか。

 

 

 

よくあるよね。

「その日本語を表す英語は、存在しない」って。

例えば、「いただきます」とか「お疲れ様です」とかは英語にはないよね。

 

 

 

 

言葉が存在しない、それは「意識しなくてもその状態である」ということである。

日本人は意識しなくても、リラックスしている状態だったのだ。かつては。

意識していないから、当時の日本人はリラックスしていることにも気づいていなかったと思うが。

 

 

意識していないから、それを表す「言葉」が存在しない。

当たり前の物には、意識が向かない。

ゆえに言葉にならない。

 

 

ちょっと想像してみてほしい。

 

 

江戸時代後期の農民を。

政府は安定している。

食べるものにも困らない。

自分の人生も、おそらく親と同じような道を歩くだろう。

ということは、人生に迷うこともない。むしろ、迷えない。なぜなら選択肢がないのだから。

 

そして、何より日本は鎖国している。

鎖国していなくても、海が隔ててくれているから、外敵が攻めてくることもない。

 

 

リラックスしないか?

戦うものが何もないんだから。

 

 

日本には、リラックスに該当する言葉がない。

それは、日常的にリラックスしている国民性だったからだ。

 

 

逆に、「気を引き締める」系の言葉は死ぬほどある。

 

 

気合を入れる。

腹を据える。

気を引き締める。

 

エトセトラエトセトラ…。

 

 

これは、日本人がもともと「リラックス」した国民だったからではないだろうか。

 

 

 

 

ちなみに、「日本語にはなかったのに、新しく創られた言葉」っていうのは多々ある。

例えば「愛」という言葉。

これも日本語の中では比較的新しく、明治時代に西洋文明を取り入れた際に当時の知識人によって創られた言葉だ。

 

 

 

日本人は日常的に「愛」の状態にあったために、わざわざ言葉にする必要がなかったのだ。

「愛」があるのが当たり前の状態だったからだ。

 

 

 

 

 

ちなみにこれは、完全に私の仮説であるので、正しいか正しくないかは知らん。

(というか、どうでもいいw考えるのが楽しいからw)

 

 

 

 

 

ということで、話を本題に戻す。

 

 

 

 

 

心を緩めるというのはどういうことなのか。

 

それはリラックスするということだ。

 

 

 

 

リラックスする。

日本語で言うなら、「身体の力を抜いて、気を楽に」だ。

 

 

 

お前ここまで引っ張っておいてそれかよ!

そんなこと、わかるに決まっているであろう!という声が聞こえたので、次回は「気を楽に」について書く。

 

 

 

 

 

ちなみに、私は西洋文化を柔軟に取り入れることができる日本の国民性と文化を深く愛している。

I love Japanese way.

 

 

 

 

愛していると言ってくれw

(イミフ)

 

 

 

 

おわり。