2012年12月7日
母の2回目の 大きな手術が 終わった後、
看護士さんから
「今日は どなたが 付き添いますか?」
と 聞かれた。
当然、俺は 自分が 付き添うと答えた。
しかし、横にいた 兄は 看護士さんに
「付き添いは しません。全員 家に戻りますので 何かあったら連絡をお願いします。」
と答え、
看)「よろしいんですか?」と俺の顔を覗き込むように聞き返した。
俺には 悲しいことに 決定権がなかった。
従うしかなかった。
それは 「居候させてもらっている」という 理由からでもあった。
実家に帰って 5分もしないうちの 俺の携帯が鳴った。
病院からだった。
看)「お母さんが非常に精神的に不安定な状態なので 病院に来ていただけませんか?」
当然、すぐに飛んでいきたかった。
しかし、既に夜中の1時。
移動手段がない俺は、
俺)「すいません、先生と変わってもらえますか? 先生と変わっていただいてお話してから15分以内に連絡します。」
とお願いして、母の状況を詳しく教えてもらった。
それは、父や兄に 「先生からも要請があった」というよう様に 大義名分を説明する必要があったので
そのために 説明しなければならないと思われる情報を先生から 確認するためだった。
父と兄に その旨を伝え、結果 兄に病院まで送ってもらうことになった。
それから2月初旬まで、母の付き添いをする事ができた。
2、3日に4時間ほど、着替えと風呂に入るために 病院を空ける生活を続けながら・・・。
しかし、その間も
「もう付き添いは いいんじゃないか?」
「お袋の 甘えでしかない」
などの 悲しい言葉を聞きながら、付き添いを続けた。
夜中、母の顔も見ながら 涙があふれてきそうになる事が 増えていった。
涙を見せたくなくて、夜中に
「タバコを吸ってくるから あけるからね。ちゃんと 当直の看護師さんに声をかけてからいくから
安心してね。」
と 声をかけると
母は、
「早く帰ってきてね。」
と 寂しそうな顔をして 承諾してくれた。
そして、2月初旬。
家族会議が開かれた。
母の付き添いを継続するかについてだった。
俺は 母に、
「俺から 兄貴とかにいっても、”お前の考えだろ”と一蹴されるだけだから、お袋からも ”居てほしい”と 言ってくれ。それくらいやってもらっても 難しい状況なんだよ」と 説明した。
お袋は がんばってそれを 実行してくれた。
しかし、家族会議当日
兄は 言った。
「人は 簡単には 死なない。あと 一年は大丈夫だろう。お前は 後 一年も付き添うのか?
その付き添い費用は 誰が出すんだ?」
と・・・・。
そして 兄は、
「本当に お前だけは 俺の考えと ことごとく違うな。」
とも言われた。
当たり前だ。
俺は 2月初旬の段階で、
母の余命は 早ければ 2月末。
持っても 3月いっぱいだと 感じていた。
しかし、それを言っても 通じない相手(家族)なのも わかっていた。
俺は 医者じゃないから・・・。
なので、家族会議では
「お袋には 心のケアが 大事なんだ。それを もっと深く心に刻んで欲しい。
俺は みんなに それだけは 理解して欲しい。」
と訴えた。
そして翌日、師長さんに 家族会議の結果を伝えた。
その後、看護チームの違う 看護師さんからも
「何で この時期の このタイミングで 付き添いを辞めるの?」と
半分攻められる様な口調で 聞かれた。
母が倒れたのは 2012年 4月初旬、それから 12月までの間、一度は退院などはしたが、
俺が 病院に行かなかったのは トータルでも 3週間以内。
理由は、俺が 風邪を引きそうな状態になった、もしくは 熱を出して 移す可能性があるため
見舞いにいけなかった その期間だけである。
そういう事を 看護師さんたちは知っているので、 俺に 問いかけてきたのだった。
家族会議の内容を説明した。
そして、
「私の説明では もう無理なので 何とか 先生から 多少強くでも 付き添いが必要だと
言ってもらえないでしょうか? 病院側から 付き添いが必要だと言うのは 難しいこととは
わかっていますが、どうにかできませんか?」
と話すと、
ある 看護主任が 目に涙を浮かべながら、
「そういう理由だったのね。わかったわ。先生に伝えるわ。」と
言ってもらえた。
「是非 お願いします。」
その後の話は、また今度・・・・。
母の2回目の 大きな手術が 終わった後、
看護士さんから
「今日は どなたが 付き添いますか?」
と 聞かれた。
当然、俺は 自分が 付き添うと答えた。
しかし、横にいた 兄は 看護士さんに
「付き添いは しません。全員 家に戻りますので 何かあったら連絡をお願いします。」
と答え、
看)「よろしいんですか?」と俺の顔を覗き込むように聞き返した。
俺には 悲しいことに 決定権がなかった。
従うしかなかった。
それは 「居候させてもらっている」という 理由からでもあった。
実家に帰って 5分もしないうちの 俺の携帯が鳴った。
病院からだった。
看)「お母さんが非常に精神的に不安定な状態なので 病院に来ていただけませんか?」
当然、すぐに飛んでいきたかった。
しかし、既に夜中の1時。
移動手段がない俺は、
俺)「すいません、先生と変わってもらえますか? 先生と変わっていただいてお話してから15分以内に連絡します。」
とお願いして、母の状況を詳しく教えてもらった。
それは、父や兄に 「先生からも要請があった」というよう様に 大義名分を説明する必要があったので
そのために 説明しなければならないと思われる情報を先生から 確認するためだった。
父と兄に その旨を伝え、結果 兄に病院まで送ってもらうことになった。
それから2月初旬まで、母の付き添いをする事ができた。
2、3日に4時間ほど、着替えと風呂に入るために 病院を空ける生活を続けながら・・・。
しかし、その間も
「もう付き添いは いいんじゃないか?」
「お袋の 甘えでしかない」
などの 悲しい言葉を聞きながら、付き添いを続けた。
夜中、母の顔も見ながら 涙があふれてきそうになる事が 増えていった。
涙を見せたくなくて、夜中に
「タバコを吸ってくるから あけるからね。ちゃんと 当直の看護師さんに声をかけてからいくから
安心してね。」
と 声をかけると
母は、
「早く帰ってきてね。」
と 寂しそうな顔をして 承諾してくれた。
そして、2月初旬。
家族会議が開かれた。
母の付き添いを継続するかについてだった。
俺は 母に、
「俺から 兄貴とかにいっても、”お前の考えだろ”と一蹴されるだけだから、お袋からも ”居てほしい”と 言ってくれ。それくらいやってもらっても 難しい状況なんだよ」と 説明した。
お袋は がんばってそれを 実行してくれた。
しかし、家族会議当日
兄は 言った。
「人は 簡単には 死なない。あと 一年は大丈夫だろう。お前は 後 一年も付き添うのか?
その付き添い費用は 誰が出すんだ?」
と・・・・。
そして 兄は、
「本当に お前だけは 俺の考えと ことごとく違うな。」
とも言われた。
当たり前だ。
俺は 2月初旬の段階で、
母の余命は 早ければ 2月末。
持っても 3月いっぱいだと 感じていた。
しかし、それを言っても 通じない相手(家族)なのも わかっていた。
俺は 医者じゃないから・・・。
なので、家族会議では
「お袋には 心のケアが 大事なんだ。それを もっと深く心に刻んで欲しい。
俺は みんなに それだけは 理解して欲しい。」
と訴えた。
そして翌日、師長さんに 家族会議の結果を伝えた。
その後、看護チームの違う 看護師さんからも
「何で この時期の このタイミングで 付き添いを辞めるの?」と
半分攻められる様な口調で 聞かれた。
母が倒れたのは 2012年 4月初旬、それから 12月までの間、一度は退院などはしたが、
俺が 病院に行かなかったのは トータルでも 3週間以内。
理由は、俺が 風邪を引きそうな状態になった、もしくは 熱を出して 移す可能性があるため
見舞いにいけなかった その期間だけである。
そういう事を 看護師さんたちは知っているので、 俺に 問いかけてきたのだった。
家族会議の内容を説明した。
そして、
「私の説明では もう無理なので 何とか 先生から 多少強くでも 付き添いが必要だと
言ってもらえないでしょうか? 病院側から 付き添いが必要だと言うのは 難しいこととは
わかっていますが、どうにかできませんか?」
と話すと、
ある 看護主任が 目に涙を浮かべながら、
「そういう理由だったのね。わかったわ。先生に伝えるわ。」と
言ってもらえた。
「是非 お願いします。」
その後の話は、また今度・・・・。
先月末に M戸にOpenした
BOクかxラ を覗いてみたのらぁー。
当然、ブログタイトルに関連する場所だけだけどねぇ~
(どんだけ オタクかってね
)
端的に 表現すると、
「残念卓(すぐる)

」
まぁね、いろいろあったから
Openするのも大変だったのは 判るけど、
1)陳列の仕方悪過ぎ(探し辛い)
2)販売価格表示関連でつらつらと・・・・。
A)コーナー張り出し価格と貼り付けてある価格(ど忘れ:ラベルの奴ね)の違い多数。
B)張り出しもラベルも無い物多数・・
C)Aに関連するけど、メーカー希望小売価格よりラベル価格の方が高いのもチラホラ・・・。
3)(あちし、嫌な客だけど)「間違っていたらゴメンなさい」と言って上記を確認した店員達の態度は問題無いけど、表情が明らかに・・・・ね
。
4)店員の現場把握不足(これは しゃぁ~なす。でも、「あえて」書いてみた)
で、こんな事を書いていると
「お前は 何様じゃぁ~~~!!」
とか 言われると思うので、
書いちゃうけど。
17才から PCショップで4年間バイトしてぇ~。
当時 S社から発売された X68000(初代)の 発売3日間売り上げの
関東(いや、東日本だったかな?)一の売り上げを出したショップでぇ~
その際のX68000の契約率の9割超が あちしの 売り上げぇ~ で、
残りも 社員のヘルプに入って売っていたのらぁ~。
(後日、S社のテレビ開発部長(だったかな?)が ショップに挨拶に来たのらぁ。
パソコン開発部署で作られたのではなく、テレビ開発部で開発したのは有名な話し。
それ以前のX1シリーズもそうだけどね。)
あぁ~~んど、
そのショップで セールをやる度に、
店内売り上げで、社員を抜いて 常に一番の 成績だったのらぁ~。
(日頃の 営業努力は 言うまでもないけどね^^)
当然、卒業時には 専務から
「店舗を任すから」と言われたけど、
やりたい事があったから 断ったけどねぇ~~~~。
と、
過去を自慢する男の現在は ろくでもない という、
お約束を踏んでしまったのだ・・・・Orz
と、書いたけど、
他の BOクかxラ は 良店舗が多いので(特に 川崎店は 店長さんか、代理の方が 好感触)
今後に
期待しまする!
であであ ノ
iPhoneからの投稿
BOクかxラ を覗いてみたのらぁー。
当然、ブログタイトルに関連する場所だけだけどねぇ~
(どんだけ オタクかってね
)端的に 表現すると、
「残念卓(すぐる)


」まぁね、いろいろあったから
Openするのも大変だったのは 判るけど、
1)陳列の仕方悪過ぎ(探し辛い)
2)販売価格表示関連でつらつらと・・・・。
A)コーナー張り出し価格と貼り付けてある価格(ど忘れ:ラベルの奴ね)の違い多数。
B)張り出しもラベルも無い物多数・・
C)Aに関連するけど、メーカー希望小売価格よりラベル価格の方が高いのもチラホラ・・・。
3)(あちし、嫌な客だけど)「間違っていたらゴメンなさい」と言って上記を確認した店員達の態度は問題無いけど、表情が明らかに・・・・ね
。4)店員の現場把握不足(これは しゃぁ~なす。でも、「あえて」書いてみた)
で、こんな事を書いていると
とか 言われると思うので、
書いちゃうけど。
17才から PCショップで4年間バイトしてぇ~。
当時 S社から発売された X68000(初代)の 発売3日間売り上げの
関東(いや、東日本だったかな?)一の売り上げを出したショップでぇ~
その際のX68000の契約率の9割超が あちしの 売り上げぇ~ で、
残りも 社員のヘルプに入って売っていたのらぁ~。
(後日、S社のテレビ開発部長(だったかな?)が ショップに挨拶に来たのらぁ。
パソコン開発部署で作られたのではなく、テレビ開発部で開発したのは有名な話し。
それ以前のX1シリーズもそうだけどね。)
あぁ~~んど、
そのショップで セールをやる度に、
店内売り上げで、社員を抜いて 常に一番の 成績だったのらぁ~。
(日頃の 営業努力は 言うまでもないけどね^^)
当然、卒業時には 専務から
「店舗を任すから」と言われたけど、
やりたい事があったから 断ったけどねぇ~~~~。
と、
過去を自慢する男の現在は ろくでもない という、
お約束を踏んでしまったのだ・・・・Orz

と、書いたけど、
他の BOクかxラ は 良店舗が多いので(特に 川崎店は 店長さんか、代理の方が 好感触)
今後に
であであ ノ
iPhoneからの投稿