続きをお読みいただきありがとうございますおねがい

 

 

 

 なかなか病気の事を伝えられなかった理由に

 

私の実家の家系には癌にかかった人がほとんどいないということ。

 

2回目の乳がんがわかった時に父の肺炎がようやく良くなり、自宅療養中で母が父の介護に追われたいたこと。

 

 

が主な理由でした。

 

 

昭和ひとけた生まれの父は今年肺炎で入院するまで

 

入院も手術もした事がありませんでした。

 

母は、40代で子宮筋腫、50代で甲状腺の手術はしましたが、いずれも良性のものでしたので、その後は健康に恵まれた生活を送っていました。

 

2人ともこれまで人間ドッグへ行ったのはおそらく片手ほどの回数だと思いますし、

 

母については今まで乳がん健診も受けた事がありません。

 

そんな2人の娘の乳がん、しかも2回目となると、

 

どんな事になるんだろう…と思いましたキョロキョロ

 

何しろ父は肺炎で入院した時も

 

「実は肺がんなんじゃないのかえーん

 

と疑心暗鬼になっていたそうです。

 

父の世代は

 

がん🟰死

 

を意味します。

 

そんな会話を母と電話でしながら、自分の病気の事を話せずに過ごす日々は正直辛かったですショボーン

 

 

化学療法をする事が決まり、ああ、何年かウィッグ生活になるのかガーン

 

とすると治療がひと段落してコロナも終わって、以前の様に帰省できるようなご時世が近々やってくるとしてもウィッグか…

 

てことは話ししとかなきゃ。。。。。

 

 

いつ言う?

 

 

時間が経てば経つほど、もう言うタイミングは一生来ないような気持ちになりました。

 

そんな時、母から電話があり、

 

「お正月はどうするの?」

 

と聞かれ、びっくりしたのです。

 

コロナ禍で外出をかなり控えている生活をしている両親。

 

今年の誤嚥性肺炎の入院も、私達が帰省したことで父の体調が悪くなったようなものなので、

 

まさかお正月の話しをされるとは想像していなかったですびっくり

 

(これは…今しかないのかもしれない)

 

と思い、

 

実は3月に病気が見つかったこと

 

その時、父と母が大変な時だったから言えなかったこと

 

5月に手術し、放射線治療と今は抗がん剤治療をやっていること

 

最後の抗がん剤治療が終わるのが12月半ばということ

 

だからこの年末年始はおそらく帰省できないということ

 

を話す事ができました。

 

母は

「ええっ…

 

そうだったの…」

 

と、あれだけお喋りな母が静かに私の話しを聞いていました真顔

 

動揺しているのかな…と思いましたが、一通り話しが終わると、

 

母は何故か自分のこれまでの病気の話しをしたり

 

大して関係のない雑談みたいな方向へ行きポーン

 

何だかよくわからないまま電話を切りました。

 

私の話し、伝わったのかな?

 

まあ、とにかくずっと気になっていた事だったので、

 

喉の奥に刺さっていた魚の小骨がやっと取れたような気分になりましたキラキラ

 



 


 次の日の夜、

 

母から電話がありました

 

「昨日の電話での報告の後、お父さんにも話ししたのよ。

 

思い出したらお父さんの事で毎日電話してくれたり、退院祝いを送ってきてくれたり、食事作りが大変だからと食事の宅配サービスの資料を送ってきてくれたり。

 

そんな自分が大変な時に…

 

あなた、がまん強すぎるわよ!

 

と言われ、少し泣きそうになりましたが、ぐっと堪えました。

 


 

 いつになったら伝えられるんだろう…と思っていた事が伝えられて良かったです。

 

遠くに住んでいると、お互いすぐに飛んでいけないので、

 

今までは私ができる親孝行は

 

自分が元気で幸せに暮らしている姿を見せることだと思っていました。

 

でも、自分が乳がんを患い、闘病し、


病院通いの大変さを嫌というほど体験し、大きな病院で診察を受ける心細さを学んだので気づき


これからは自分の治療が落ち着いたら

 

両親の病院への付き添いや家事のサポートなどの為にできるだけ実家へ帰ろうと思います。気づき気づき


 

 

 

 

 今日は長々としたブログ、お読みいただきありがとうございました音符