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 ○智弁和歌山(和歌山)6-1高岡商(富山)●(23日・甲子園)

 歴代トップとなる通算59勝目。「プレーをするのは選手」。積み重ねてきた白星の数に、高嶋監督はさほど執着はない。ただ、「忘れられない勝利」が一つだけある。93年夏の1回戦。東北(宮城)を延長十二回の末に破った一戦は、智弁和歌山の監督就任14年目にして甲子園初勝利だった。

 80年に智弁学園監督から転身し、85年春にはチームを初の甲子園に導いた。だが、そこから甲子園では5回連続初戦敗退。自らを「カメ」と称するように、歩みはのろかった。ただ、ひそかに名将への道は探っていた。

 「野球の華は本塁打」と公言する攻撃的な野球が持ち味。この日は三回に城山が浅めの犠飛で生還して先制したが、三塁側ダッグアウトから身を乗り出すように「行け、行け」と大声を上げる高嶋監督の勢いに、城山は思わず突っ込んでいる。

 目指す野球の本質は変わらないが、勝てなかった時期、高嶋監督は「守りを再点検」と守備の重要さを見直している。智弁和歌山の台頭前に春夏計4回の全国制覇と和歌山球界をリードした箕島を率いた尾藤公さん(67)は、攻撃面の進化にも気付いていた。「勝つために何が必要かを勉強し、バントやエンドランをうまく使うようになった」と話す。

 「思い切った継投のタイミングの良さ」にも、尾藤さんは感心する。少数精鋭主義で代々、野手兼務の投手が多い。高嶋監督は「抑えられる投手がいないから早めに代えているだけ。行き当たりばったり」と照れるが、救援陣には「集中力を高めて、試合に入る準備はしておけ」と声を掛けておく周到さを持ち合わせている。

 すべては苦しかった時代に学んだ。中村順司・元PL学園監督が58勝10敗と驚異的な勝率を誇るのに対し、高嶋監督は25の敗戦も喫している。しかし、それも勲章の一つだ。

 「(数字の)目標はない。負ければまた、次に向けて頑張るだけ」。こうして、甲子園では常にダッグアウトの最前列に立ち続けてきた。寒さが残る春は腕組みで、夏は両手が腰の位置となる。【堤浩一郎】 

 【略歴】高嶋仁(たかしま・ひとし) 1946年生まれ。長崎・海星高で投手兼外野手として夏の甲子園に2回出場。日体大では主将を務めた。大卒後、智弁学園(奈良)でコーチを経て72年から監督を8年間務め、80年に智弁和歌山監督に就任した。保健体育科教諭を07年に退職し、現在は智弁学園幹事。甲子園出場は夏18回、春は11回目。春1回(94年)、夏2回(97年、00年)の優勝経験がある。



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