引き寄せられた腕の中であの人の胸の鼓動が早くなるのが分かる。



頬に軽く口付けて、優しく髪を梳く。



手を握り、指を絡め、じっとアタシの目を見つめる。



二人とも言葉もなく、そのまま目を閉じ唇を重ねた。
























そこでアタシはあの人の手を止めた。

涙がボロボロと零れ落ち、その顔を見てあの人も

もう駄目なんだと全てを悟ってくれた。




二人で黙ったまま抱き合い時を過ごす。




どれだけそうしていたんだろう。

その沈黙を破って、アタシはあの人に告げた。





「もう、会わない」




これ以上進むときっと貴方を選んでしまう、と。

そして選んだら今のままの自分ではいられないと。




ありのままの自分の思いを初めて口にした。

今の彼のことも。あの人に対する想いも。





本当はずっと待っていた。

待って待って、待ちくたびれて、恨んでもいたと。

そしてこのまま傍に居ると全てを飲み込むか、

全てを吐き出すかしないと耐えられない事。


貴方を失うのが怖い。

でもがんじがらめに縛り付けて苦しめるのも怖い。

今のアタシは貴方をただ待つだけではいられない。

もうあの頃のように泣き暮らすのは嫌。



一緒に居る事を選んだ時に得られる幸せよりも

悲しみや苦しみの方が遥かに上回る事を。





あの当時ですら口に出来なかった思いを

正直に吐き出した。





それを聞いて寂しそうに微笑んだあの人も

今まで言わなかったような弱音を口にした。




どれだけ疲れ果てても待っていてくれれば

それだけで救われた。

お前が居ないなら何もかもがどうでもいい。

仕事も何もかも。

生きることすら。




解ってはいたけれど、ずるい人だと思う。

そんな言葉をこんな時に言われれば

アタシがどういう気持ちになるかも知っていて。

何もかも分かっていてアタシを追い詰める。



今までのアタシならその言葉で全てを投げ出して

あの人の望むままにしていたかもしれない。








けれどアタシはそうしなかった。

そして初めてあの人に怒りをぶつけた。




「それだけの気持ちがあるなら、仕事も全て投げ出して

 アタシを手放さなきゃいいのに!

 それでも覚悟決められないなら自分が選ぶ道を

 歩くしかないんだよ!?」



少し自分勝手な物言い。

でも、全てを明らかにする為に言葉を続ける。



その言葉を受けたあの人の顔は薄暗い部屋の中では

アタシには見る事が出来ない。

きっとあの人も見せたくないだろう。




「アタシも貴方も本当は分かってる。

 結局同じ事繰り返すだけだって。

 だけど完全に一人になるのが怖いから、曖昧に濁して

 踏ん切りをつけるのを先延ばしにしてるだけよ!」





あの人にとって一番怖い事・・・

虚ろな自分を認めて受け入れてくれる場所を失うこと。

きっと母親のように大きな愛で包まれるように愛される事でしか

虚勢を張った自分を保てない事を思い知らされる事。



アタシ気づいてたんだよ。

隠しておきたかった事だと思うけど、

それでもちゃんと気づいてたんだ。

涙はまだ止まっていない。




その言葉を聞いて出てきたあの人の言葉。




「・・・・・賢い女は俺は好きだよ」



そう。

あの人も分かっている。

たとえお互い一人でも、結局は一緒に居られない事を。

待たせても待たせても待ち続けるアタシを望み、

そしてアタシの本当の望みは叶えられない事も。

アタシの傍にいられない事を。


そしてそれでも求めてしまった弱い自分を。




「うん、知ってる。

 それを指摘されるのがとても辛い事も知ってるの。」




そこでようやくあの人はアタシの目を見た。

きっとアタシは少し困った顔をしていたと思う。

でもその表情とは裏腹に、はっきりとした口調で

この数年間の終わりとなる言葉を口にした。




「それでもアタシは望んでた。

 貴方が一生傍にいてくれることを。

 だからアタシ達はこのままではいられない。

 貴方はまた居なくなってしまうから」






「6年前に終わらせられなかったものを今度こそちゃんと終わらそう?」


























あの人はまた絶望の中を自分の居場所に戻っていく。

待つ人が居ないまま旅立っていく。

アタシも振り返らないまま歩いていく。



自分の道を。

お互いの道を。




部屋から出ると外はもうすっかり朝の日差しに溢れ、

今まで話した事も全て夢のように思えてくる。

でも二人で歩いても、もう手は繋がれていない。




「今日は改札までは送らない」



「うん・・・・余計に辛くなるからね。心配しないで」



「あぁ。あまり無理せずやれよ。すぐ無茶するんだから。」



「あはは。大丈夫」





分かれ道に差し掛かり、お互いの足が止まる。

ここで別れたらもう二度と会うことはない。

言葉が上手く出てこない。




これで本当に最後なのに。




暫く無言で立ち止まったまま、

あの人の腕がアタシを抱き寄せた。






「お前に会えて良かったよ・・・・・・・ありがとう。」



「・・・・・・・アタシもだよ。会えて良かった。」








最後の一言は消え入りそうなかすかな声で、

あの人の耳には届いてなかったかもしれない。



身体が離れたと思った瞬間、あの人は地下鉄の階段を降りていった。

アタシもそのまま振り向かずに朝の街を歩き出した。