関東地方で活躍した桓武平氏 | 日日是家紋

関東地方で活躍した桓武平氏

 平氏も、源氏と同じく天皇から氏姓を与えられて皇族を離れたー族です。桓武天皇の子孫である桓武平氏、仁明天皇の子孫の仁明平氏、文徳天皇の子孫の文徳平氏、光孝天皇の子孫の光孝平氏の4つの系統があります。なかでも、歴史上で重要とされるのが桓武平氏です。
 桓武平氏は、良文流、良茂流、貞盛流などの系統に分かれて関東地方を中心に繁栄しました。彼らは武家平氏と呼ばれ、のちに源氏が関東に勢力を伸ばすと、平維衡は伊勢(三重県)に移住します。この一族を伊勢平氏といい、伊勢で勢力を拡大し平氏の棟梁となります。
 一方、関東地方にとどまった武家平氏は、源氏の配下に組み込まれていきました。伊勢平氏は平清盛の時代に最盛期を迎えますが、1185年の壇ノ浦の戦い(山口県下関市)によって滅亡します。しかし、源氏に属した関東の武家平氏の多くは、鎌倉幕府成立後も存続しました。

優美な揚羽蝶を家紋に用いる
 平氏の家紋は、家によって異なりますが、代表的なものは揚羽蝶を描いた家紋です。京に勢力を持つ公家平氏の安野家や西洞院家、伊勢平氏系の武士たちが揚羽蝶を家紋に用いています。代表的なものでは、平清盛の家紋である丸に揚羽蝶があげられます。のちの織田信長は、桓武平氏の末商を自称し、揚羽蝶の家紋を用いていました。
 一方、関東地方の武家平氏系の武士は、揚羽蝶以外の文様を多く使用しています。後世、揚羽蝶の家紋は、そのデザインの美しさから、女性のための家紋としても多く使われました。
(引用:よくわかる!名字と家紋(PHP研究所))