私の娘は3歳の時、知的障害と自閉症の診断を受けました
診断名を聞いた時
やはりそうかと思いました
異変に気づいたのは娘が1歳を過ぎた頃です
知的障害があることはこの時に直感で気づいていました
周りに比べて成長のスピードがあきらかに遅かったからです
すぐに追いつくと周りは励ましてくれました
私の母は、親である私の接し方のせいだと言いました
それは希望を持った叱咤でした
母はまだ優しい口調でしたが
もっとキツイ言葉も他からはありました
私は自分の感情を後ろに押し込めました
現実に向き合うことが怖かったからです
この子は周りの希望どおりには成長しないかもしれない
産まれた直後からの度重なる手術、それから酸素不足を伴う手術ミス
知的障害があることは、なんとなくですが分かっていました
そして時が流れ
1歳半の時、長期の抗生物質投与の後、牛乳を与えだした頃から自閉症の症状もではじめました
生活は一変します
娘は朝から晩まで叫ぶのです
そして、昼も夜も寝なくなりました
寝ても1〜2時間で起きて叫び、私を叩き続けました
まるで何かに取り憑かれたように自動で体が動いているようでした
自分の意思ではないかのようでした
娘の目は私と合わず
言葉も通じませんでした
そこにいるはずの我が子は、そこにいないようなかんじがしました
どうして?この子は私を苦しめるために産まれてきたの?
疑問はいつからか「あきらめ」に変わっていきました
私の腕や顔は娘からの癇癪でできた傷が増えていきました
長袖で腕を隠し、マスクで顔を隠して生活をしました
私は呼吸がうまくできなくなる日もありました
そんな生活が続いたある日、娘が4歳の時のことです
いつものように癇癪をおこし暴れる娘に「やめて」と言うと
「やめたい、やめたいの、どうしたらなおる?」と言ったのです
私は思わず娘を抱きしめました
腕の中で娘は私の首を引っ掻き暴れました
「ごめんなさい、私のせいでごめんなさい」
暴れる娘に謝りました
視界はぼやけて見えませんでした
自分だけがしんどくて出口のない暗闇にいる気分でいました
違いました
苦しんでいるのは、目の前にいる娘もそうなのだと気づいた時
私は受け身の生活から変わる決心をしたのです
「大丈夫、私がなおすから」
だからもう大丈夫
なおすという表現は違うのかもしれません
しかし
このまま自閉症の症状が酷くなる娘と共に耐えるのではなく、この生活を変えたいと思いました
それができるかもしれない
自分が目を背けてきたものの中に答えがあるような気がしました
その時のきっかけが、やめたいと訴えた娘の言葉でした
受け身ではいけない
考え、調べ
そして実践しなくてはいけない
その時そう強く思ったのです
娘は8歳になった現在、知的障害はありますが自閉症の症状はずいぶんとおさまりました
現在、癇癪はほとんどありません
そして私に対する力による攻撃は全くありません
もちろん他人にもです
目線があうし、言葉も通じます
これは私が経験して思うことですが
自閉症などの発達障害と診断された人の中には、食生活や生活習慣で症状がある程度改善する人がいると思います
これは確信に近いものがあります
娘は牛乳と小麦の摂取をやめると別人のように自閉症の症状が少なくなりました
その後、その生活を続けながら和食中心の生活に切り替え、自然の中で過ごすうちに症状はさらに改善されていきました
ただ、全ての発達障害の方に当てはまるかは分かりませんし、娘も自閉症の診断が取り消されるわけではなく、あくまでも改善してしてきたという形です
私の経験ではありますが、発達障害で悩む方の参考になればと思い、振り返り書かせていただきました
知的障害に関しては、脳の損傷の場合は改善は難しいと思います(ゆっくりですけど娘は成長していて現在は4歳くらいの能力があります)
しかし、発達障害は抗生物質の乱用や乳製品や小麦やその他の食生活の改善で発症そのものが防げる可能性があるのでは?
と、あくまで経験からですが思っています
ぬか喜びをさせてしまったらすみません
けれど
発達障害のあるお子さんがいらっしゃる方に、食生活で改善する可能性があることをお伝えしたいと思います
あくまでも参考までに
本日も最後まで読んでいただきましてありがとうございました